『アトリエ・サチコ』

作 KEBO 様




「ふう、しんどかった」
「何言ってるのよ!まだここから歩くんだから」
 バスが走り去っていく。山道に立つバス停には待合室とおぼしき屋根付の小屋が建っている。
「本当に、一日三本しかないんだ・・・・」
 時刻表を見てつぶやく美歌。各駅停車を乗り継ぎ、駅員一人の小さな駅でバスに乗り換えさらに一時間半。美歌たちはようやく目的地の近くまで来たのだ。
「さて、行こうか」荷物を担いで歩き出そうとする律子。長い髪が風に揺らぐ。他の娘たちも立ち上がる。高校までバレーボール部に所属していた律子は他の娘たちよりも頭一つ背が高い。その様子はまるで引率の先生が子供たちを率いているようにも見えた。
「麻里、こっちでいいの?」
「うん」ショートカットの娘、麻里が肯く。
 律子を先頭に麻里、祐子、美歌、昌美、香織の六人が、県道から別れた、一応舗装されていると行った感じの道へ進む。県道から外れると、道はたちまち森に視界を奪われた。
 彼女たちは、休みを利用して麻里の叔母の家に遊びに行くのだった。麻里の話によれば彼女の叔父は道楽者で、この山奥に洋風の屋敷を建てて住んでいたが数年前に亡くなっていた。今はその妻、幸子が一人でその屋敷に住んでいる。幸子は叔父が株で残した財産のおかげで生活には苦労していない。時折街へ買い物に出掛ける以外は悠々自適の生活をしている。
 生前、道楽者だった叔父への親戚からの風当たりはきつかった。そしてその亡き後もその財産を一人で受け継いだ嫁、幸子への風当たりはさらにきつく、ほとんど絶縁状態のようであったが、そんな中で麻里は何故かその幸子に懐き、幸子の方も子供がいなかった事もあり小さい頃から麻里を可愛がっていた。叔母とは言っても幸子はまだ充分に若く、麻里にとっては少し歳の離れた姉のようだった。実際、幸子は二十歳そこそこで二周り近く上の男、つまり麻里の叔父と結婚したのであったし、そのことも、彼女に対する風当たり原因の一つになっている。
「あれ?」木々のトンネルが切れた先に見える丘の上に、古めかしい感じの洋館が見える。裕子がそれを指して大声で言う。
 肯く麻里に、一行は元気付く。丘の頂上に向かって、彼女たちは登っていった。


「いらっしゃい・・・」
 呼び鈴を押そうとした途端に開くドア。目の前には幸子が微笑みを浮かべて立っていた。
「ああビックリした」という割には落ち着いた感じで麻里が、幸子と同じような感じで微笑む。
「そうでしょ」微笑んだまま淡々と返す幸子。
「あなたたちが丘を登ってくるのを窓からずっと見ていたのよ。それでちょっとビックリさせてあげようかと思って」
 やはり淡々と幸子が続ける。あまり感情を前に出す感じの人ではないように美歌たちには見えた。
「さ、いいから中へお入りなさいな」
「失礼します・・・・」麻里に続いて、疲れた笑顔を浮かべた娘たちが入っていく。
「うわあ・・・・」思わず声を上げたのは昌美だった。他の娘たちも疲れを忘れて家の中を見回す。
 玄関を入ると、そこにはまるで映画のセットのような大階段があり、それは広い踊り場から左右に分かれて二階へと続いていた。
「あの・・・」申し訳なさそうに幸子に向かって口を開く美歌。
「なあに?」
「あの、この家に一人で?」
「ええそうよ。こんな田舎じゃ誰も一緒に住んでくれないし。でも静かで良いわよ・・・雑音も聞こえてこないし」
「普段は何をされてるんですか?」興味津々な顔で聞く昌美。こらこらと律子がたしなめる。しかし幸子はふふふ、と笑うと律儀に答えた。
「そうよね。女が一人こんな山奥でどんな暮らしをしているか気になるわよね。って言っても、人に言えるほどのことはしていないのよ。あ、別に何か悪い事しているっていう意味じゃなくて、そんな、職業、そうね、職業というより趣味に近いかしら」
 その先を、幸子ではなく麻里が答える。
「おねえさんはね、ドレスのデザイナーなのよ」
「デザイナー!聞いてないわよそんなの!」驚きに目を丸くする昌美と他の面々。
「いやだ麻里ちゃんたら」言いながらも、幸子は微笑みを崩さない。
「デザイナーなんて偉そうなものではないわ。だから、趣味みたいなもので・・・・別にそれで生計を立てているわけではないんだし・・・・まあ、とりあえず荷物を置いて落ち着きなさいな。麻里ちゃん、二階の部屋自由に使っていいわよ。布団なんかは後で物置から持っていって」
「はーい。行こうか」
 麻里に続いて、彼女たちは階段を上がっていった。


 荷物を置いたり付近を散策している間にたちまち日が傾いて行く。漂ってくる独特な匂いを嗅いで、麻里たちは広いダイニングに隣接するキッチンにぞろぞろと向かった。
「ごめんなさい。わたしたち手伝いますから」麻里が言う。幸子は楽しそうに大きな鍋をかき混ぜていた。
「いいのよ」絵に描いたような明るい笑顔で振り返る幸子。
「でも、大人数の食事なんて久しく作ってないから・・・・今更だけど、いい?カレーで」
 思わず苦笑しながらうなずく麻里たち。
「じゃあ」麻里が応えるのと同時に、彼女たちが動き出す。
「すみません、お皿とかってどれを使ったら?」
「テーブル、こっちの椅子借りていいですか?」
 てきぱきと食卓の準備をする彼女たち。その様子を見ながら幸子は少しも微笑みを崩さない。
「じゃ、食べましょうか」大きな鍋をすっと持ち上げる幸子。たちまち7つのカレーライスができあがり、各人が座る。
「いただきまーす!」元気な声とともに彼女たちの食事が始まった。それを楽しそうに眺めながらゆっくりとカレーを口に運ぶ幸子。
「おかわりありますからね」幸子は、やはり楽しそうにそう言った。


 夕食後、麻里たちは広いリビングでくつろいでいた。
「麻里、幸子さんは?」姿が見えない幸子のことを気にする美歌。
「そうね・・・アトリエかな」
「アトリエ!?」
「うん、叔父さんがこの家立てるときに何だかこだわって。そのおかげで幸子おねえさんもそこでドレスのデザインなんかする気になったみたい」
 雑誌を見ていた麻里が顔を上げる。と、麻里はみんなの視線が集中しているのを感じた。
「わかったわよ。後で交渉してみる。でもその前に布団とか運んじゃおうよ」麻里はまるで、幼稚園か小学校の先生のように微笑みながら言う。
 少し残念そうに麻里に同意する友人たち。
「じゃあ、わたしが行かなきゃわからないから、とりあえずわたしの他に二人かしらね・・・・あとは、先にお風呂入らないと」仕切る麻里。
「お風呂って、幸子さんは?」
「さっき先に入ってって言ってた。大浴場じゃないから早く入らないと最後の人夜中になるわよ。お風呂場は別棟だから結構夜中に入ると怖いわよ」麻里が淡々と現実的に言う。
「やだ、わたし入る」恐がりの香織が真っ先に言った。
「だめ。ここは公平にジャンケンで決めましょ」今度は律子が出番とばかりに仕切る。
「せーの、ジャンケン」構える5人。
「あれ、麻里は?」昌美が麻里の方を見て言う。
「だからわたしが行かないとお風呂も物置もわからないでしょ」淡々と言う麻里。
「え、でもお風呂は?」
「最後でいいわよ。慣れてるもの」
「わかった。ジャンケンポイ!」さっさと勢いよく律子が言う。
「え!ずるい!」とっさに反応できなかった昌美は意味不明の一本指を出していた。
「なにそれ」パーを出した美歌が笑う。
「はい、昌美負け!」律子が言い渡す。他の四人も一度で決着が付いていた。律子と裕子、香織は三人揃ってチョキを出している。
「え」昌美の手から目を離し、事態を把握して悲鳴を上げる美歌。
「決まり。昌美と美歌は布団係。わたしたちは順番にお風呂はいるわね」
 仕切る律子。いつもながら手際がよい。
「じゃ、行こうか」立ち上がる麻里。渋々と、昌美と美歌も立ち上がる。
「ちょっと待って」と律子が麻里を呼び止めた。
「なに?」
「お風呂、どうやったらいいのか教えてよ」
「そうね・・・・じゃ、最初はお風呂研修会から」
 苦笑する面々。六人は一緒に部屋を出た。


「あ」部屋から出てきた幸子を認め、会釈する裕子。
「お風呂?」にこやかに幸子が聞く。
「はい。でも、香織の次で」
「そう・・・・裕子ちゃんて言ったわよね」
「はい」
「アトリエ、見ない?」
「え」突然の問いに驚く裕子。
「ええ」にこやかに幸子がうなずく。
「いいんですか?」嬉しさを感じさせながら、少し躊躇する裕子。
「気にしないで。せっかく来たんだもの」
 裕子が照れるようにうなずく。
「いらっしゃい」
 裕子は幸子の後に続いた。


「よいしょっと」布団を二階に運び上げる昌美たち。
「あと半分ね」慣れているような顔の麻里が言う。物置は一階の奥だ。
「えー、まだこれで半分!」うんざりした顔で美歌が悪態をつく。掛布と敷布を6人分運ぶのは普段しなれない彼女たちにとっては結構な重労働だ。
「別にいいよ、でもおなか出して寝たら間違いなく風邪引くわね」麻里が答えるように言う。
「この辺結構冷えるから」
 話しながら、部屋に布団を割り振る麻里たち。一階に下りようと階段に足をかけたところで下から律子の声がした。
「麻里、裕子知らない?」
「知らないわよ。どうかした?」
 律子の代わりに今度は風呂上がりの香織が、髪をタオルで叩きながら答えた。
「お風呂あいたんだけど、いないのよ」
「いない?」
「そう」律子が説明する。
「なんかフラっと部屋出てったっきり。靴はあるから外出た訳じゃないと思うんだけど」
 沈黙する面々。
「まあとりあえずさ、お風呂、入らないと」律子がそうつぶやく。とりあえず律子は自分が早く風呂に入りたいという様子がみえみえだ。
「いいよ、律子先入りなよ。裕子いたら言っとくから」
「わかった。まったくもう」自分の荷物を持ち、風呂場へ向かう律子。
「まあ、トイレか何かにいるんじゃない。とりあえず布団運んじゃおう」
「えー」声を上げたのは美歌だ。
「えーじゃないの。おいてくわよ」微笑む麻里。
「ちょっと待ってよ」美歌は麻里たちを追いかけていった。


「あの、これは・・・」
 幸子に連れられてきた部屋の中、裕子は部屋の中を見て何とも言えない表情をしていた。アトリエの奥、ドレスを着たマネキンたちの林の奥にあった小さな扉。その先は、アトリエとはうって変わった部屋だった。
「いいのよ、気にしなくて」
「え」
 裕子は肩に何かを感じた。それが幸子の手だとはすぐに理解できたが、何かが違う。おそるおそる振り向いた裕子の目の前に幸子の、最初に会ったときと変わらない微笑みを浮かべた顔がある。
「ん・・・・」
 裕子は何がなんだかわからなかった。不意に首筋に感じた鈍い痛み。そこから流れ込んでくる何か・・・・全身の力が抜けていく。裕子は立っていることができずそのまま膝から崩れていた。幸子の腕がそれを受け止める。
「あ・・・・・」全身の痺れを感じながら、裕子は何かを言おうとした。しかし何も言うことができない。突然のことに混乱しているのか裕子の目には、幸子の指先からなにか針のようなものが伸びているように見える。
 幸子は微笑みを浮かべたまま軽々と裕子の体を抱き上げる。裕子は朧気に自分がどうなるのか理解したような気がしたが、それ以上意識を保っていることはできなかった。


「裕子」つぶやきながら歩く香織。ジャンケンに勝ち、一人風呂上がりの香織は暇をもてあましていた。麻里たちは布団を運びに行き、律子は風呂に入っている。香織はとりあえず暇をつぶす手段として裕子を捜すことにした。というよりも、家の中をあちこち探検するといった方が正しいだろうか。
「結構広いわね」一人でぶつぶつ言いながら、香織はなにげに離れを見る。そこは幸子のアトリエになっていると聞いた場所だ。ちょうどそこから幸子が出てくる。香織は暇つぶしの相手と言わんばかりに幸子の方へ寄っていった。
「幸子さん」
「わ、びっくりした」口ほどに驚いた様子もなく幸子が微笑む。
「ごめんなさい。裕子見ませんでした?」
 にっこりと微笑みながら香織が聞く。
「ああ、彼女なら、アトリエにいるわよ」微笑みを崩さずに応える幸子。
「えーずるーい」
「ふふふふ」口を尖らせた香織を見て幸子が笑う。
「でもどうして?」
 香織は疑問に思った。幸子は裕子を一人にして何故ここにいるのか?しかしそう思う間もなく、幸子が言う。
「あなたも、一緒にどう?」
「え」
 とは言ったものの、うれしさを隠せない香織。ドレスのデザイナーのアトリエなどそう見れるものではない。彼女は「きっと行けば裕子が一人でいるわけもわかる」と解釈した。
「じゃあ」嬉しそうにうなずく香織。幸子はやはり、浮かべた微笑みを全く崩さずに香織を促した。


「るんるんるん」鼻歌まじりに湯船に浸かる律子。温泉ではないが、乳白色の湯が浴槽に満たされ、疲れた身体には心地がよい。
(どうも、この風呂場は湯気がたまりやすいみたい)朧気に彼女はそう思った。浴槽に浸かっているとシャワーも一瞬霞む。
(窓とか開かないのかな・・・)
 壁の上の方にある窓を見る律子、しかし、どの窓も窓というよりガラスの壁としてはめ込まれているようだ。と、その時、それに気づいた。
(なんでだろう・・・・)
 天井に換気扇らしきはめ込みがあるのだが、湯気はそこに吸い込まれるのではなく、そこからあふれ出してきているように見えた。そうしているうちに、さらに湯気は濃く立ちこめ視界が狭まっていく。
(火事か何か?)とりあえず湯船から上がろうとする律子。しかし、力が入らない。
(え?)
 助けを呼ぼうとしたが、彼女はもう遅いことに気が付いた。体中から力が抜けていく。声すらも出せず、瞼が重みを増していく。そして彼女の意識はそのまま闇に落ちていった。


「律子たちまだかなぁ」
 ようやく布団を敷き終わり、一息つく昌美たち。
「ベッドメイキングのバイト料貰わなきゃね」美歌が言う。彼女と昌美は人数分レトロなベッドがあることに驚きながら、ベッドに布団を敷いたのだった。それは慣れない彼女たちにはなかなかの重労働だった。
「まあ、律子はともかく裕子は長いからねぇ」昌美が苦笑いしている。美歌もそれにつられて笑う。その美歌の視界に、麻里が入る。その麻里を見て一瞬ぎょっとする美歌。
「麻里、どうしたの?」
「え、ああ、ちょっとぼうっとしてた」
 再び笑う三人。しかし美歌はさっき目にとめた麻里の顔に直感的な恐怖のようなものを感じていた。麻里の、全く表情のない能面のような顔に。


 30分ほど過ぎたが、最初に入ったはずの香織も、裕子も律子も寝室には姿を現さなかった。
「ねぇ、リビングじゃない?」しびれを切らしたようにつぶやく美歌。
「そうねぇ、ちょっと見に行こうか」
 立ち上がる三人。
「ここ奥の部屋だしわからなかったかな」
「なわけないでしょ。こんだけ三人で騒いでるのに」
 美歌と昌美はそうかわしながら廊下に出る。その間、麻里は黙ったままだった。階段を下りてリビングに出ても、他の三人は見あたらない。
「ねぇ、おかしいよ」美歌がつぶやく。
「幸子さんは?」麻里の方に振り返る昌美。
「アトリエじゃないかな・・・・」麻里が答える。その麻里の表情を見て美歌が言った。
「麻里、大丈夫?」
「え、なんで?」
「いや、何にもなければいいんだけど、なんとなく」
 奇妙な沈黙が三人を包む。
「まあさ、みんな疲れてるから、ねぇ」昌美が笑ってその場を収める。
「ていうかさ、美歌の方こそ大丈夫?」
「え、まぁ」言った昌美の方を見て、美歌はさっき麻里を見て感じた恐怖のようなものが漠然とした不安に進化していくのを感じた。昌美も笑いながら目が笑っていない。しかし、それはどちらかというと美歌の不安に対する同意のようなものに感じられた。元からそういうところがあったとは言え、今日の麻里の言葉は特にどこか不自然な、無機質なものに思えると同時に、その表情は微笑みながらもさっきから全く変わらないように思われた。
「ねえもしかしてさ」昌美が緊張をほぐすように言い出す。
「三人、直接交渉でアトリエ見学ってありえる?」
 強くうなずく美歌。
「ちょっと聞いてみようか?」麻里が提案した。顔を見合わせて、はっきり縦に首を振る美歌と昌美。


「おねえさん」アトリエのドアを叩く麻里。程なく、音もなくドアが開く。
「なにかしら」最初に彼女たちを迎え入れたときと全く同じ微笑みを浮かべながら幸子が顔を出す。
「香織たち来てません?」麻里を遮って昌美が聞く。
「来てるわよ」何事もなかったかのように応える幸子。
「ひどいなあ、一言言ってくれればいいのに」
 昌美がそう言うと、幸子が表情を変えずに応える。
「そうね、貴女達もどうかしら?もうそろそろ大丈夫よ」
「もうそろそろ?」その幸子の答えに違和感を感じる美歌。
「ええ。まあ、お入りなさいな」幸子が促す。昌美と美歌は顔を見合わせたが、麻里は微笑んだまま幸子と同じように二人を促している。
「じゃあ」戸惑いつつ、ドアの中に入る昌美、そして美歌。麻里はその後ろから二人を押し込むように続く。
 中に入った昌美が一瞬身を震わせる。
「どうしたの?」美歌も程なく理由がわかった。意外と広いアトリエの中、薄暗い証明の中にたくさんのマネキンがそれぞれの衣装を着て立っている。よく見ればそのマネキンはどれもリアルで、肌が硬質なのと間接に球体のジョイントが入っていることを除けばまるで生きている人間のようだった。
「あの・・・」
 美歌が口に出しかけるが、それを口に出す間もなく幸子は奥の扉を開き、そのまま中に入るように促す。迷う間もなく中に入る三人。昌美と美歌は思わずその眩しさに手をかざした。
 ジー・・・・ガシ・・・・・ボコボコボコ・・・・
 最初に彼女たちが認識したのは音だった。それも、何か工場にいるかのような機械的な音・・・やがて、少しずつ目が慣れてくる。部屋の中央の台で、機械によって何かが組み立てられている。程なくそれが何か理解した昌美と美歌は、声にならない悲鳴を上げた。
「これは・・・」
 台に横たわっている、いや横たわった形に配置されている身体。それは、指の一本まですべて関節の部分で切り離されていた。その切り離された関節の部分に金属質の表面をした球体が組み込まれ、せわしく動き回る機械によって再び元の形へと組み立てられていく。その身体の薄く目と口を開いた頭部を見るに至り、彼女たちはそれが裕子の顔だと認識した。
「これ、なに?」やっと口に出す美歌。しかし、その質問に答えるものはいない。沈黙の中、昌美が美歌の肩を叩き、ゆっくりとその方向を指さす。
「あれは・・・香織と、律子?」
 ボコボコボコという音の源がそこにあった。壁に埋め込まれている、人一人がちょうどはいる大きさの円筒形の透明な容器の中、香織と律子はそれぞれ全身を金属のブラケットで固定され、淡く緑色に光る蛍光色の液体に浸されていた。各々の頭は、金属製のパッドで挟まれており、台の上に置かれている裕子の顔同様薄く目と口を開いた虚ろな表情を浮かべていた。そして、同様な容器が一つ空いている。
(そんな・・・ありえない・・・)呆然とそれを眺める美歌。彼女の想像はどう考えてもありえないことに思えたが、眼前の状況を見るとその想像がかなり合っているのではないかという気になる。つまり・・・
「律子たちを、どうするつもりなんですか」昌美が幸子に向かって語気を荒げる。しかし幸子はそれに答えず、その代わりに彼女の身体からその音で答えた。
 ポン・・・・電子音らしき音。そしてその次の声に美歌と昌美はドキリとして幸子を凝視した。
「リボーナースタンバイ」
 幸子の口から聞こえたその声は、まるで機械音声そのものだった。そして次の瞬間、二人は悲鳴を上げていた。
 幸子の瞳が、オレンジ色に光っている。そしてさらに・・・
「ごめんね・・・・でも怖がらないで。美歌も昌美もすぐに律子たちみたいにしてあげるから」
「ちょっと麻里・・・何言ってるの・・・」唖然とする昌美、そして美歌。
「永遠に今の姿のままでいられ」突如麻里の言葉が途絶え、表情が消える。そして、幸子と同じように麻里の口からも機械音声そのままの声が聞こえてきた。
「システム起動・・・リセット・・・5,4,3」
 後ずさる二人。
「美歌、逃げよう」たまらず言い出す昌美。美歌も力強くうなずきくるりと背を向ける。
「2,1」麻里の目が幸子と同じようにオレンジ色に光る。
「きゃあああ!」悲鳴を上げたのは昌美だった。その場から逃げようと動き出した瞬間昌美の腕は麻里の手につかまれていた。しかもその力は人間とは思えないほど強い。
「昌美!」
「助けて!」叫ぶ昌美。しかし抵抗は無駄だった。腕をつかむ麻里に加えて幸子が昌美を後ろから抱き上げ、空いている容器の方へ連れていく。
 美歌は、昌美を助けようと立ち上がったが、それを阻むように麻里が昌美の腕を放すと美歌の方に向き直る。徐々に迫ってくる麻里。その横ではバラバラにされた裕子が再び人の形へと着々と組み立てられていく。
 容器の中のアームが昌美の身体を捕らえ、律子たちと同じように拘束していく。昌美は半狂乱で手足をバタバタさせているが、幸子は何事もなかったかのようにその動きを押さえるとあっというまに昌美を容器内に拘束してしまった。拘束された昌美の頭部に、両側から金属のパッドが無造作に迫りその頭を挟み込む。するとすぐに昌美の様子に変化が現れた。じたばたしていた昌美の身体は、うめき声とともに何度も痙攣し、やがて動きを止めた。
(昌美、ごめん)
 美歌は自分の力ではどうにもならないことを悟り、できる限りのスピードで部屋を出てドアを閉める。幸い麻里はドアの向こうのままだ。しかし、美歌は事態がそんなに簡単でないことをすぐに思い知らされた。
「システム起動」「システム起動・・・リセット」「5,4,3」
 アトリエに立っていたマネキンたちが、麻里と全く同じ機械音声を出している。そして、それが順々に瞳をオレンジ色に光らせ美歌の方に向かってきた。
「キャアアア!」美歌は悲鳴を上げながら出口へ向かって走る。幸い出口のドアは開けっ放しだった。アトリエを脱出し離れから玄関へ向かう美歌。後ろからはゆっくりとマネキンたちが追ってくる。
「イヤ・・イヤ・・・」つぶやきながら靴を履き玄関のドアノブを握る美歌。しかし、ノブはびくともしない。
「え!?」
 迫るマネキンたちの足音はどんどん迫ってくる。
(どこか・・・窓)
 必死に窓を探る美歌。しかし何故かどの窓も固く閉じられていてビクともしない。それだけではなかった。思いあまって窓に椅子を投げつけても窓ガラスにはヒビすら入らなかった。
(そんな・・・)
 他に出られるところは離れだが、マネキンの群れが待ちかまえている。いや、むしろその前にゆっくりながら確実に彼女に迫ってくる。彼女の想像が正しければ、マネキンたちもかつては自分と同じ人間だったはずだ。そして、そのマネキンに捕らえられるということは彼女もその仲間入りをさせられてしまうことに違いないのだ。そう、彼女の友達だった裕子たちと同じように・・・・。
 彼女は必死に逃げた。しかし、外に出られそうなところはどこにもない。そうしているうちにやがて、袋小路に追いつめられてしまった。
 一階の奥・・・そこは物置の前だった。ゆっくりと、かつ無機質な足音はゆっくりと彼女に迫ってくる。彼女は夢中で物置を開ける。
(開いた!!)
 彼女はそこに飛び込むと慌ててドアを閉めた。暗闇の中、布団らしきものに身体を埋め隠れる美歌。足音が止まり、物置のドアが開かれた。
 廊下から光が差し込む。美歌は彼女の意図したとおり、布団の中にその身体をうまく隠すことができていたようだ。ドレス姿のマネキンが、オレンジ色の瞳を点滅させながら物置の中を見回す。どうやらドアは開けても物をどけるような考えはないようだ。
 じりじりと時間が過ぎていく。布団の隙間から美歌はそっと様子を伺った。辛うじて見えるマネキンの脚はぴくりとも動かず、まだそこに立ちつくしていることを示していた。
(見張ってるのかしら・・・)
 美歌は焦りを感じ始めていた。どちらにしろここは袋小路だ。このマネキンをなんとかしない限り逃げ出すことはできないのだ。
 相変わらず廊下にはマネキンたちの足音が聞こえている。脱出するにはこのマネキンを倒すしかないと悟った美歌は、呼吸を整えると一気に布団をマネキンに向かって跳ね上げ、そのまま彼女自身も布団と一緒に転がる。美歌の布団越しの体当たりを受けたマネキンはもんどり打って転がった。そのマネキンを布団の上から踏みつけるように立ち上がる美歌。しかし・・・
 美歌はそこでへたり込んでしまった。袋小路の出口に整然と並ぶマネキンたち。そしてその中央には麻里が、目からオレンジ色の光を発して立っていた。
「麻里・・・・」
 その言葉がスイッチになったかのように、麻里は無表情のまま、横一列のマネキンを従えてゆっくりと美歌に近づいてきた。
「イヤ・・・・」
 後ずさる美歌。その肩に硬質な物が触れる。おそるおそる振り向いた美歌の目の前に、彼女に体当たりを食ったマネキンの無機質な顔があった。そしてその腕が、しっかりと美歌の身体を抱きかかえようとしている。悲鳴にならない声を上げて激しく首を振る美歌の頬に、硬質ではないが微妙に冷たい手が触れた。目を見開く美歌。頬に触れているのは麻里の左手。そして・・・・
 麻里の人差し指が美歌の首筋に触れる。次の瞬間、その指から発生した高圧電流が美歌の意識を暗闇に落としていった。


・・・

 それは・・・不思議な感覚だった。
 彼女は、緑色の光に満たされていた。と同時にそれが彼女の感じられるすべてだった。恐れや苦しみはまったく感じない。かといって、喜びや快感を感じるわけでもない。まさに、今の彼女にとっては緑色の光がすべてだった。
 自分が何者であるのか、彼女はよく働かない頭でゆっくりと思い出そうとしていた。映像の断片のようなものが浮かんでは消えていく。彼女はそれが自分の記憶だと認識した。
 彼女は友人たちと麻里の叔母の家に遊びに来た。友人たちが次々と姿を消し、麻里の叔母である幸子のアトリエで機械人形化処置されていた。そして彼女も麻里によって捕獲され、処置を受けている。
 彼女は淡々と記憶を甦らせていた。だからといって恐怖や苦しみなどを感じるわけではなく・・・彼女の頭部は両側から脳改造パッドによって押さえられている。そのパッドから伸びた改造節が彼女の側頭部から入り込み、脳内に細菌大の特殊なチップを注入することによって彼女の脳細胞を機械に変換しつつある。
(ココハドコニンシキマチワタシハダレリセットミカニンシキチップチュウニュウチュウリスタート・・・・)
 緑色の液体に満たされたカプセルの中で、表情が消え時折ビクンと電流による反応を示す以外は微動だにしない彼女の意識はすでに彼女のものであり彼女のものでなかった。人間としての感情は消滅し、チップと癒合し半生体機械化した脳細胞どうしの結合によって機械細胞の塊と化した脳の中枢部が彼女の脳内に元々あった記憶をデータに置き換え、美歌の意識を機械人形としての意識に変換しているのだ。
「システム起動・・・リセット・・・5,4、3」
 すでに組み立ての完了したユウコとカオリはシステムの評価プログラムを実行されている。硬質化した肢体に球体間接型モーターを組み込まれ他の「マネキン」たちと同じ姿になった彼女たちは立ち上がっては一定の動作を繰り返し元の姿勢に戻って再びリセットをかけている。「本部」によってB体に選別された彼女たちはこれを数日間のうちに数千回繰り返しこの館に「幸子がデザインした」服を着せられ保管されるのだ。
 一方脳改造と身体の特殊合金化という一次処置を受けているミカとマサミはカプセルの中に、そして一次処置を終了したリツコは同じ部屋の中で組み立てられていた。特殊な液体によって大きな弾性を持つ特殊合金に変質させられた肢体は間接ごとに切り離され、これもまた球体間接型モーターが組み込まれていく。その過程はすべて機械によって自動的に行われており、その機械を制御するのもまた人間ではなくかつて人間だったもの、つまり幸子や麻里といった機械人形たちだった。幸子や麻里と同じくA体に選別された彼女たちはB体よりも人間に近い感触を持つ特殊金属に身体を変換され駆動部を組み込まれた上でさらに特殊繊維の皮膚を表面にかぶせられてまるで人間そっくりな機械人形として生まれ変わり「本部」の命令通りに作業を実行するのだ。
 やがて、新たな5体の機械人形が完成し評価が終わると、「本部」にその旨を伝えるメッセージが送信された。



「ねぇ、試験終わったらスキー行かない?私の叔母さんがAスキー場のところでロッジやってるのよ。バイトがてら、どう?」
「行く行く行く!!」
 由希子は美歌の誘いに喜んでいた。春休みは暇なのだ。こういう友達を持っていてよかったと彼女は思っていた。
「じゃあ」と予定を話す美歌。由希子は「本部」の定めた基準を完全にクリアしている。「本部」は彼女を捕獲対象にし、「美歌」にそのデータをインプットしていた。全国の「ハウス」のうち、今回はAスキー場近くのハウスに由希子を誘導する。1週間後には由希子も機械人形に生まれ変わっていることだろう。しかしそんなことはミカの関知するところではない。機械人形に改造されて数ヶ月たつミカによる素体確保作業はこれで2回目である。今回は由希子他数名の捕獲後に、ミカ自身のメンテナンスも行われることになっている。
「あと誰誘おうか?」美歌はプログラムによって由希子と話す。すでに対象者は決まっており、プログラムは由希子にその候補者を誘うことを誘導するメッセージパターンのいくつかを瞬時に作成する。そしてこのやりとりのデータは逐次「本部」に送られていた。
「えーと、祥子とかは?」
 祥子という単語からミカのプログラムが数人の「祥子」を検索し、照合を行う。表示されるわけではないが、ミカの機械化脳の中で「祥子」の全身の姿やその他のデータが取り出され、対象者のデータと照合が行われた。B素体データの中に同じものがあるのが確認され、「本部」とデータ交換が行われる。その作業は瞬時に行われ、ミカの機械脳は次の行動をスタートさせていた。
「おっけー。電話してみるわ」微笑みを浮かべて答える美歌。素体確保プログラムは次のフェーズに移行した。その横で、由希子は楽しそうに準備の買い物をどうするべきか考えていた。


<おわり>




※このお話はすべてフィクションであり、登場人物その他すべてのものは実在のものとは全く関係ありません。

(C)KEBO 2006.4.10




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