『ハッピーエンド』その2

作シンゲツサイ 様



「湖香夏、今日の朝食はエビサラダのサンドウィッチとコーヒーがいいわ」
『カシコマリマシタ、ゴ主人サマ』
『ママァ、ママァ』
「あら、ひなちゃん起きたのね」
『ママ、ヒナ、オッパイ欲シイ』
「あら、ひなちゃんあまえんぼうさんでちゅねえ。じゃ、今日は下のオッパイを吸わせてあげるわ」
『ママ、タイスキ……』
 ちゅ、くちゅ……
『ゴ主人サマ。朝食ノ用意ガ調イマシタ』
「んっ、あとで食べるから、そこに置いといて。それから、後でお風呂にはいるから準備しておいて」
『カシコマリマシタ、ゴ主人サマ』
「ああ、二人ともいい子ね。ママは幸せよ」
『アリガトウゴザイマス』
『ぷはっ、ママ、ヒナ、ウレシイ』
 不意に、陽子は手にしていた水を湖香夏の体にかけた。防水加工されていないボディに水は易々と進入し、あちこちで火花があがる。
『アガ、ゴ、主人、サマ……』
 湖香夏は陽子の顔を見つめたまま、崩れ落ちた。
「湖香夏、あなたの顔を見てると、ときどきイラっと来ることがあるの。許して頂戴」
『トンデ、モ……ゴザイマ……セ……プシュン』
「ひな、メンテナンスモード。湖香夏を修理して、二十六番のフレームとプログラムを準備しなさい」
『モード移行、カシコマリマシタ、ゴ主人サマ』
 小さな氷奈雫は、倒れた湖香夏を引きずるように部屋の外へと出ていった。
「あ、いけない。ぬれた床の掃除を頼むの忘れていたわ。」

 陽子は二人で遊ぶために、様々なものを用意していた。今日は湖香夏への復讐をかねて、ちょっとした牧場体験だ。
「さ、二人とも入っていらっしゃい」
『ハイ、旦那サマ。オ呼ヨビデスカ』
 初めに、農夫の格好をした氷奈雫が入ってきた。麦わら帽子が大きすぎて、顔がすっぽり隠れてしまっている。
「まあ、かわいい農夫さんね。今日は新鮮なミルクを飲ませてくれるんでしょう?」
『ハイ、旦那サマ。湖香夏、コッチコッチ!』
『ン、ンモオ〜』
 氷奈雫の陰から、白と黒のペイントを施された湖香夏、が鈴を鳴らしながら入ってきた。手と膝が取り外され、代わりに蹄のような足が取り付けられている。服は着ておらず、その胸をパンパンに張らしていた。
「さ、農夫さんミルクを絞って頂戴な」
『カシコマリマシタ』
 氷奈雫は牛の下に大きなお盆を置いて、優しく、きゅっと乳房を握りしめた。暖かい純白のミルクが、湖香夏の乳首からピュッと吹き出す。
『ンモオーーー!』
 湖香夏は色っぽい声で鳴くと、もっと絞ってくれと言わんばかりに、乳房を氷奈雫に近づけた。
『旦那サマ、牛ハネ、乳ヲ絞ラレルト気持チガイインデスヨ』
『ンモオ、ンモオーーー!』
 その作業を何度も繰り返し、そのたびに湖香夏は色っぽい声を上げる。終える頃には、全部でティーポット五杯分の牛乳を取ることができた。そのうちの一つを、氷奈雫は母親の元へ運んだ。
『旦那サマ、取レタテノ牛乳デス。オ召シ上ガリクダサイ』
 陽子は受け取ると飲まずにテーブルに置き、くすくすと笑い始めた。
「農夫さん、牛を牛舎に連れ帰って元通りにしてあげなさい。牛さん苦しそうよ」 
「ン、ンモ……ピ、ガガ……ミ、ミルクガ、アリマセン補充シテ、クダ、サイ」
 湖香夏は空になったタンクから無理矢理ミルクを絞り出そうとしていた。乳房の隙間から見える内部の機械が火花をあげ、ぎゃりぎゃりと不自然な音を立てている。
 指摘された氷奈雫は、まず大きな麦わら帽子を外し『ソレデハ旦那サマ、私ハコレデ失礼シマス』と、丁寧にお辞儀をする。
 そうしている間も、湖香夏はエラーメッセージを繰り返していた。よくみると、あちこちから煙が出始めている。
 そんな湖香夏を、氷奈雫は鞭打って咎めた。
『サ、帰ルゾ湖香夏。歩ケ』
『ハ、イ……ゴ主人、サマ……』
 引きずるように歩く湖香夏にいらだったのか、氷奈雫は鈴の付いた首輪をつかみ、引きずるように部屋を出て行った。
「うふふ、楽しい見せ物ですこと。さすが自慢の娘たちだわ」
 陽子はほほえみながら、ふと、窓の外を見た。高く昇った太陽は人の心に、時間的余裕と、希望、喜びを注ぐ。
 先ほどの牛乳をすこし口に含みながら、一冊のカタログをとりだした。
「うふふ……こんどはどんなのにしようかしら」

               * * * * *

『ママ、湖香夏が壊れました』
 カタログを読んでいる陽子の部屋へ入って来るなり、小さい氷奈雫はそう告げた。
「じゃあ、直して頂戴」
 陽子はカタログから目を離すことなく告げた。しかし、氷奈雫は部屋から出て行く様子はない。
「……何かあったの?」
『損傷激シク、既存ノ修復ぷろぐらむデハ対処不能デス。まにゅあるヲ提示スルカ、必要ナぷろぐらむヲいんすとーるシテクダサイ』
「……もう、面倒ね。氷奈雫、電話とって」
『カシコマリマシタ』
 氷奈雫から受話器をむしり取ると、陽子は素早く電話を操作した。
『プルルルル……はい、ゲイズレット人体科学研究所です』
「私は陽子。マイスター・キルビックを呼び出して頂戴」
「陽子さまですね。しばしお待ちください」
 待ち受けのクラシック音楽を長いこと聴かされた後、ようやくキルビックと繋がった。
『お待たせしました、ミス陽子。本日はどのような用件でございましょうか?』
「どうもこうもないわ、湖香夏が壊れたけど氷奈雫が直せないって言うのよ! メンテナンスプログラムは相互に用意していたといったじゃない!」
『湖香夏、氷奈雫……少々お待ちください………………お待たせしました。お手数ですが、氷奈雫お嬢さまと電話を変わっていただけますか?』
「いいわよ。ほら氷奈雫! 電話に出なさい」
「ハイ」
 氷奈雫は陽子には理解できない専門用語で長い間話をした後、電話を主人に返した。
「で、どういうことなわけ?」
『こちらで修理するしかありませんね。一回バラバラにしてフレームを変えなければいけませんから、テストも含めて三ヶ月はかかります』
「三ヶ月!? 冗談じゃないわ。ねえ、なんとかならないの? あなたプロでしょ!」
『そう言われましても……』
「もし無理だというのなら、もうおたくの世話にはなりません」
『では、システムの再構築をせずに修繕いたしましょう。正直、不具合が残る危険が非常に大きいのですが……こちらから必要な部品、ソフトウェアを送りますので、氷奈雫嬢に修理をさせてください。荷物は三日もあれば着きますし、修理自体は二日で終わります。計五日、これが最短修理でございます』
「なおのこといいわ。湖香夏なんて、不完全なロボットになるのがお似合いだもの」
『……左様でございますか。ではさっそく準備をいたします。お支払いはいつもの方法でよろしいですか?』
「いいわ」
『承りました。それではごきげんよう、ミス陽子』

 パーツ類はきっかり三日後に届いた。陽子はさっそくソフトウェアを取り出し、氷奈雫へのインストールを開始した。『いんすとーる……そふとうぇあガはーどめもりーノ空キ容量ヲ超エテイマス。不要ナふぁいるヲ削除シテクダサイ』
「不要な……そうね、【思い出】を消して要領を空けなさい」
『了解。該当ファイル削除………………消去シマシタ。いんすとーる続行………………完了シマシタ』
「さあ、湖香夏を直しに行くわよ、パーツを運びなさい」
『ハイ、ご主人サマ』

「……これ、本当に直せるの?」
 部屋に入った陽子は半ばあきれながら氷奈雫に尋ねた。
『ハイ、ゴ主人サマ』
 壊れた湖香夏は修理するために縦置きのクレードルに固定されていた。
 腕を初めとする間接部は焼き付き、首と胴体は動力ケーブルでかろうじて繋がっている。外皮のあちこちが熱で融解しており、当の湖香夏の顔も首から左耳にかけて破裂した後がある。
 しかし、何より驚いたのは、未だに湖香夏が動いていることだった。
『ガ、カ……』
「……まるでホラーね」
 唖然とする陽子を尻目に、氷奈雫は姉の修理の準備を終え、さっそく取りかかっていた。
『末端ヨリ、破損箇所ノ除去ヲ開始シマス』
 氷奈雫は壊れた足の先端から、未だに電力の生きている回路を刺激しないよう、慎重に取り外していった。
『ガ、ガガ……ガピイ!』
 左足が取り外されると、湖香夏は苦痛とも快楽とも取れる甲高いうめき声を上げた。
 続いて右足、両腕と取り外される。胸まで取り除かれると、黙って作業していた氷奈雫が主人に注意を促した。
「離レテイテクダサイ。爆発ノ危険ガアリマス」
 氷奈雫が言うには、今回の故障は動力炉で、下手に停止させると爆発するということだった。そこで余分な部分を外し、心臓たる丸い機関を露出させたようだ。
 陽子は黙って部屋を出て、廊下で作業が終わるのを待った。
『ビャガアアアアアアアアアアアア!』
 出産を思わせる甲高い悲鳴が屋敷全体に響き渡る。
 ネズミは逃げ、鳥は飛ぶような出来事に、陽子は舌なめずりをする。
「いい悲鳴、うふふ……」
 屋敷に静寂が戻った頃、耐電服に身を包んだ氷奈雫が部屋から現れた。手には、未だ灼熱の余韻を残す鉄の玉のような機械が握られていた。
『原因ヲ取リ除キマシタ。モウ安全デス。手術ゴランニナリマスカ?』
「ええ、もちろん」
 陽子が再び戻ったとき、湖香夏はすでに首だけとなり、補助するケーブルが何本か接続されていた。
『ピ、ピ……ピ』
 表情は微動だにしないが、だらしなく口を開け、虚空に目をやる様は失意と絶望を思わせた。
 だが陽子は思う。失意と絶望の日々を永遠のものにしたい。陽子は、自分が湖香夏を破壊することの楽しみを感じるようになっていたのだ。
 氷奈雫はまず、顔のオーバーホールから始めた。解けた皮膚は綺麗に整えられた。破損寸前のプログラムも、修復ソフトによって若干の落ち着きを取り戻したように思える。
『ガピイ……』
 陽子は心地よさそうな湖香夏を見てつまらないと思った。何かおもしろい仕掛けでもさせようかと思案していたが、その必要はなかった。
『ピガア! ぴが、ピガアアア!』
 新しい胴体を取り付けるとき、突然湖香夏がうめきだしたのだ。今回支給されたボディと、ハードウェアの互換性に問題があったためだった。
 が、そうと気づかない氷奈雫は改造を続け、陽子は喜々としてよろこんだ。
「こんなサービスを用意してくれるなんて、チップをはずんであげなくちゃね」
『ガ、ガガ……ブブブブ……』
 もはや感じることなど出来ない湖香夏の体であったが、メインとなるコンピューターは異常な負荷に耐えかね警告を発し続けていた。しかし……
『ビャアア!』
 動力炉を埋め込み、
「ガピガァア!」
 ケーブルを繋ぎ、
『ギギギギ……ギ、ギ……』
 四肢を取り付けられても、湖香夏というコンピューターの警告は気づかれることがなかった。
 先の破損で言語中枢が破壊され、言葉を紡げない湖香夏から出るのは、警告メッセージではなく、甲高い電子音だったのだ。もはや、苦痛の叫びとも取れる。
 度重なるエラーの為か、最後にはコンピューターまでもが沈黙し、音を出すことすらなくなった。

『修理ガ完了シマシタ。起動状態デ、くれーどるカラ切リ離シマス』
 こうして修理を終えた湖香夏は磨き上げられた新品のボディを手に入れた。しかしクレードルを離れると、歩こうとはせず、糸の切れた人形のようにそのまま床に倒れてしまった。
 いつまでたっても、動き出す気配はない。
「おかしいわね……」
 電源ランプはついている、氷奈雫にチェックをさせても異常は見られなかった。
 水晶のような澄んだ瞳をたたえたまま、湖香夏が自分から立ち上がることは最後までなかった。
 結局本社に送られることとなったが、陽子が修理風景に機嫌を良くしたおかげで大きな騒ぎにはならなかった。

「ああ、この間は楽しかったわ〜」
 娘たちを慈しむ様子もなく、陽子は再びカタログを手に取った。何か滑稽で、官能的なものはないかと探す。
 ほのかに、引き立てのコーヒー豆の香りがしたかと思うと、氷奈雫がコーヒーを手にして部屋へ入ってきた。
『ゴ主人サマ、こーひーヲオ持チシマシタ』
 その姿は優雅で、先ほどの白衣ではなく、ちゃんといつものメイド服に着替えている。
「あら、ありがとう。湖香夏は?」
『調整中トノ回答デデゴザイマス。原因究明ニハ明日イッパイカカルト予測サレマス』
「そう、もう下がっていいわよ」
『ハイ、ゴ主人サマ』
 湖香夏が出て行った後、陽子は受話器を手にした。
「もしもし、私だけど……そう。この四十七番ってやつを用意して、あさってよ……ええ、それでいいわ。それじゃ」
 受話器を置いて、陽子は少しさめたコーヒーをすすった。エスプレッソの香りが、自然と陽子の心を解きほぐす。
 夜はまだ長い。陽子はガウンをハンガーに掛けると、ちりんちりんとガラス製の呼び鈴をならした。
『オ呼ビデスカ、ゴ主人サマ』
 出て行ったばかりの氷奈雫を呼び戻し、ほほえみながら一枚のカートリッジを差し出した。
「さあ、氷奈雫。遊びましょう?」
 そのほほえみはあまりに無邪気で、幼い少女を思わせる純粋なものだった。

 陽子は享楽に満ちた残りの人生を、ゆっくり、ゆっくりとすごしていく。二人の姉妹が幸せかどうかは分からなかったが、彼女たちの脳は主人に仕えるという、確かな満足感を感じるようプログラムが組まれている。
 喜びだけを感じて壊れていくことは、もしかしたら、幸せなことかも知れない。だとすれば、彼らは世界で一番幸せな家族ということになる。
 少なくとも、彼女たちはそれを信じて疑うことはなかった。

               * * * * *

 キルビックは報告書を書き終えると、深い、深いため息をついた。本日五杯目のエスプレッソをあおる。
「やれ、不思議なことがあるものですねぇ」
 報告書は、湖香夏の修理に関するレポートだった。機能正常な動かないロボット。原因究明は困難を極めた。
 しかし、その答えは記録と照合することで簡単に解決してしまった。改造直後の湖香夏と、その後の湖香夏、その相違点は一つしかなかった。
 それは、このような文で締めくくられていた。
 ……以下の理由から、修理後も動作しなかった原因は、生前の彼女から作った基盤プログラム――心が壊れたためと結論づけられます。


                                 END
 


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