『マテリアル・カンパニー』

作ナイトビダン様



<御夜咲 瞳>

第一話 拉致

「ふう・・・」
 深いため息をつきながら御夜咲瞳(みやさきひとみ)はノートパソコンの キーボードから手を離した。
 短く切りそろえられた美しい光沢を放つ黒髪を波打たせながら小さく伸びをした彼女は、 続けて疲れたようにメガネを外す。
疲労がピークに達していることは瞳自身がよくわかっていた。
ここのところ研究論文執筆のため徹夜が続いているのである。
「御夜咲先生、お疲れみたいですね。」
そう言ってコーヒーを差し出してくれた学生アルバイトの水沢香奈に瞳は 軽く微笑んで見せた。
「あ、ええ、ちょっとね。」
 香奈は瞳と同じ髪型の快活そうな美少女で、今年この天海医大学に 入学したばかりの現役大学生である。
しかし瞳と香奈の付き合いはそれほど浅い物ではない。二人は 中学・高校時代を通じて家庭教師と教え子の関係にあったのである。
香奈にとって瞳は思春期を通して多大な影響を受けた人物であり、 まさに憧れ以上の対象であった。
香奈がこの大学を受験したのも 瞳の傍に少しでもいたいという気持ちからであるのは言うまでもないだろう。
こうして念願かなった香奈は、この瞳の研究室にアルバイトとして 出入りしているのである。
「ところで先生、パンザー博士とはうまくいってないのですか?」
 瞳は唇をゆがめた。
「そうね、最近やたらと共同研究を持ちかけられるんだけど・・・ 私、あの人なんか怖くてね。」
「わかります、わかります!そうなんですよねえ。なんか陰気臭くて、 気持ち悪いっていうか、あれは人体実験とか平気でやりそうだし・・・」
「香奈ちゃん、香奈ちゃん、ちょっと言いすぎよ。」
 瞳の表情は苦笑に変化していた。
 パンザー博士はアメリカからこの大学にやってきている人工臓器の権威である。
しかし香奈の言ったとおりどうも無気味な印象をもつ人間でもあった。
年齢はまだ40歳を越えていないはずであったがすでに髪は白髪であり、 その顔に刻まれた深いしわを見ては知らない者が見れば間違いなく 老人と勘違いすることは間違いない。
「亜里沙、あんな博士の所にいて大丈夫なのかしら。」
「・・・亜里沙って、香奈ちゃんと同級生の研究助手の彼女よね。 本庄亜里沙さん?」
「はい。高校からの親友なんです。彼女にはここで一緒にやろう、 って誘ったんですけど。」
「そうだったの?どうして彼女はパンザー博士のところなんかに・・・」
そのとき香奈はばつが悪そうに頭をかいた。
「いや、そのう・・・あっちの方がお給料がよかったらしくて・・・あはは。」
「まあ・・・」
瞳は呆れたという調子で口を開けた。
「は、ははは。まあ、亜里沙は母子家庭だし、学費も大変みたいだから・・・」
「そう。」
香奈は瞳が不機嫌な顔をするかと思って心配したのだが、そのようなそぶりは なかったので胸をなでおろした。
後になって思えばそのようなことで自分の先生がこだわるわけがないではないか、 と一人納得する。
「確かにねえ、あっちはいろいろ外部から研究費をも援助してもらっている みたいだし、大学のバックアップ体制も完璧だからね。
一体どんな研究してるのかしら?」
共同研究を断ってはいるものの、その中身には一科学者として興味深々の瞳であった。
「さあ、亜里沙はなにも教えてくれないんですよ。」
「当然よ。香奈ちゃんだって私の研究内容を他の研究者にばらしたりしないでしょ?」
「も、もちろんです!!・・・といっても私の頭じゃ先生の研究の中身を 理解するなんて無理ですよ。」
「まあ、あきれた・・・」
二人は互いに吹き出して笑っていた。笑いながら香奈はふと机の上の ノートパソコンを覗き込む。
「先生の論文・・・進んでいないのですか?」
不意に瞳の顔の正面に香奈の顔が近づいた。瞳はとぼけた調子で返事を返す。
「わあ、すごいですね。まるでSF小説やマンガみたい。」
 香奈が目にしたのはパソコンのディスプレイに表示されている機械の腕や足、 さらに人体の各部を補う機械パーツの画像であった。
「ふふ。機械の身体を開発するなんて簡単にはいかないわよ。
でもこの技術がもっともっと発達すればたくさんの人たちを救うことができると思わない?」
「はい。でも・・・これなら本当に作れるかもしれませんね。」
「なにが?」
「ほら、サイボーグとかアンドロイドとか。映画に出てくるみたいな すごいやつですよ。」
 瞳は笑みを浮かべた。しかし一概に否定もしなかった。
 海外の学会に参加すると最近はその噂でもちきりであったからだ。
聞けば某国の情報機関では秘密裏にそれらの開発、すなわち人体実験が行われ 実用段階にまで到達しているともいう。
もちろんそれは 未確認情報でしかないのだが。
 正直なところ、瞳自身はそれらをあまり信用していなかった。
信用するに足る情報はなにひとつ無かったからである。
それよりも彼女は一日も早く高性能な義手や義足を開発し、 身体の不自由な人たちの手助けをしたり、 人工臓器による病の治療することで人々の命を救いたいと考えていた。
「先生、私もできるかぎりお手伝いしますから・・・なんでも言ってください!!」
香奈が両目を輝かせて瞳を見つめた。瞳の傍でその研究の手伝いができることに 彼女は心から喜びを感じている様子であった。
「ありがとう、香奈ちゃん。そうだなあ、じゃあサイボーグ手術の 実験台になってもらおうかなあ・・・」
「えっ、実験台?」
一瞬、顔をこわばらせる香奈を見て瞳は再度吹き出して笑った。
香奈は自分がからかわれたことに気付いて瞳の肩をポカポカと叩く。
「もう、先生!からかわないでください!!一瞬、本気にしちゃうところだった じゃないですか!!」
「あはは、ごめんなさい。だって香奈ちゃんがあんまり真剣な顔で言うものだから。」
「もう・・・昔からずっとそういう所は意地悪なんだから。」
そう言ったとき香奈は急に押し黙った。いつのまにか香奈の顔が瞳の鼻先にまで 接近している。それを認識したとき、香奈の頬が紅く染まっていった。
「先生・・わたし、先生が本当に望まれるなら・・・サイボーグの実験台にでも なんにでもなります。」
「香奈ちゃん?」
瞳はゆっくりとその眼を細めると、紅いルージュのひかれた唇をわずかに開く。
そして目の前で頬を紅く染めている香奈の顔を両手で触れると、 そのまま彼女の顔を引き寄せる。
「せ・・・先、生・・・」
瞳は香奈のまだあどけなさの残る唇に自分の唇を重ね合わせた。
舌と舌が妖しく絡み合う。二人の呼吸がだんだん荒くなり、 思わず唇を離した二人の間に唾液が糸をひいた。
もう二人しかいない夜の研究室にムワッとした女の臭気が立ち込める。
衣服が擦れあう音がかすかに周囲に響きはじめる。
「あ、あふ・・・先生、ひゃあ・・・だめです・・・ああ・・・やめて・・」
「なに?やめてほしいの、香奈?」
 瞳の顔つきはそれまでの優しげなものとは違っていた。
牝猫のように鋭い視線をやや小さめの乳房がのぞく香奈の胸元に注ぎながら、 さらに右手を彼女のミニスカートの中へ差し入れる。
「ひゃ、ひゃううっ!!」
 香奈が声をあげて瞳にあずけた肢体を痙攣された。
「やだ、香奈・・・もうびしょびしょになってるわよ・・うふ。」
「お、お姉さま・・・もっと、気持ちよくしてください・・・ああ。」
「可愛いわよ、香奈・・・」
 そう言って瞳が香奈の蜜壷にさらに二本の指を差し入れようとしたそのときである。
 突然、香奈のポケットで携帯が着メロを奏で始めたのだ。
 それに興を削がれた形となり、瞳は唇を這わせていた香奈の胸元から 不意に顔を離した。
恍惚とした表情を浮かべていた香奈の顔を見つめながら瞳は彼女の股間から 指をゆっくりと引き抜く。その右手は淫らな愛液で濡れそぼっていた。
 香奈は息を整えながら、身体を預けていた瞳の膝の上から離れると携帯を手にとった。
「そっか、デートなんだ。」
 携帯を切った香奈は、乱れはだけたシルクシャツの胸元をなおしながら、 うつむいたまま答えなかった。
その困ったような顔つきが瞳にはとても可愛らしく思えてならない。
「香奈ちゃん、気にしないで。わかったわ。今日はお疲れ様。」
「先生・・・はい。じゃ、お先に失礼します。あの彼氏じゃないんです。
サークルの先輩でその・・・私は全然その気がなくて、その・・・」
「はいはい。気を付けてね。あと、下着代えておきなさいよ。」
 瞳のいつもの意地悪な言葉に安心したのか香奈は先ほどまでの快活な顔に戻った。
彼女はペコリと一礼するとショートブーツのヒール音も高らかに研究室を出て行った。
この瞳と香奈の性的関係を知る者は誰もいない。香奈が中学を卒業したとき、 瞳はお祝いと称して初めて香奈を抱いた。
それ以来この関係はずっと続いている。
「彼氏か・・・」
そう自嘲的につぶやきながら瞳は窓の外に視線を移した。気がつけば外は夜の闇に
包まれている。
「はあ・・・三十前の若い女がいる場所じゃないわよね・・・」
 外していたメガネをかけなおしながら、瞳はそうつぶやいていた。
とはいえ、彼女はまぎれもなく美人と呼ばれて遜色のない女性である。
研究室に席を置く彼女は化粧も薄かったがそれがむしろ 本来の彼女の女性としての魅力を一層、際立たせていた。
 しかし御夜咲瞳はサイバネティックボディ研究開発分野において 新進気鋭の科学者として知られる女性研究者である。
自然と周囲からは研究一筋の女性研究者として一線を隔されてしまっているのが 現状であった。
あげく近寄ってくる男があのパンザー博士では、欲求不満もたまるというものであろう。
また、人間の肉体を機械化するというコンセプトは倫理的な問題から 思うような実験もできず彼女の研究自体この頃、壁に突き当たっていたのだ。
 そのような状態での香奈の言葉に瞳は思わず嗜虐的な感情が湧きあがってしまった。
それが先ほどのちょっとした情事の原因である。
「私には彼氏もいない・・・研究が恋人・・・か・・・。ふん。」
瞳は自分が周囲からどのような眼で見られているか充分理解していた。
そして惜しいかな彼女もまたそれらには対して無関心を決め込んだのである。
今は研究に没頭したかったし、性的欲求不満は香奈が解消してくれることもあるからだ。
「もう。帰ろうかな・・・」
瞳がそうつぶやいたとき、スカートのポケットの中で携帯が鳴った。
「なによ、今度は私ですか?ふう。・・・もしもし御夜咲です。」
返事がない。
「あのう・・・もしもし?」
なおも返事がない。いぶかしげに眉をひそめた瞳が携帯を切ろうとしたそのときである。
「ひ、瞳!わたし、恵美子よ!」
その声は中学時代からの友人である片桐恵美子であった。
恵美子は瞳とはまるで正反対の性格の持ち主で、男絡みの噂など日常茶飯事、 今日も男とデートだと瞳に昨夜連絡があったばかりの典型的不良OLである。
「なによ恵美子。酔っているの?」
「う、うん。いや、その、これから会えない?」
「はあ?」
瞳は首をひねった。どうも様子がおかしい。
「どうしたの、何かあったの?」
「だ、だからっ・・・うっ、ヒック、ヒック、おねがいよ、瞳。おねがい・・・」
電話の向こうで泣き出した恵美子の様子が尋常でないことを瞳は確信した。
性格は正反対でも中学時代から親友をやっていればそれぐらいはわかる。
「わ、わかったわよ、泣かないで。今、どこにいるの?」
泣きながら話す恵美子の言葉を聞き取り、メモを取って瞳は携帯を切った。
「さては本命の男にふられたな・・・。今夜は香奈ちゃんもデートらしいし、 まったく今の若い者はなにしてんだか! ・・・はあ、徹夜続きでやけ酒につきあうのかあ・・・つらいなあ。」
そうぼやきながら瞳は白衣を脱ぐとロッカーの中のコートを羽織り、 サンダルから膝下までのロングブーツに履き替える。
外は雨になっていた。タクシーを拾おうとしたが、タクシーどころか人っ子一人通らない。
「まいったなあ。」
瞳が途方にくれていたとき不意に背後で車のクラクションが鳴った。
見ればヘッドライトを点灯した一台の軽自動車が近づいてくるではないか。
「御夜咲先生!」
そう言って車のウインドウの奥から顔を出した少女を瞳は知っていた。
「本庄亜里沙さん?」
瞳とは違う、長い黒髪の日本女性らしい美しさを持つ少女である。
「もしかしてお困りではありませんか?よければどうぞ。」
そう言って優しげな笑顔を浮かべながら彼女は助手席のドアを中から開いた。
見れば中には運転席の亜里沙しか乗ってはいない。
瞳はパンザー博士が同乗していないことを確認して一安心したようである。
「ごめんなさい。お願いできるかしら。」
「ええ、どうぞ!」
亜里沙はニコッと微笑を浮かべて答えた。さらに事情を聞いた亜里沙は 瞳を目的地まで送ると申し出てきたのである。
最初は遠慮していた瞳であったが、普段交流のない彼女のことに加え、 何よりも彼女の持つパンザー博士の研究情報に興味があった。
自然と会話は弾み、 瞳は亜里沙の申し出に甘えることにしたのである。
「亜里沙さん、パンザー博士って・・・どう?」
曖昧な質問である。亜里沙は一瞬、口をつぐむと答えた。
「す、すばらしい御方です。周囲からは奇異の目で見られていますけれど。
・・・ええ、そうです。」
 瞳は亜里沙の顔が一瞬、人形のように見えた気がした。
しかしそれはほんの刹那であり、今見れば香奈と同い年の女子大生にしか見えない。
ついこの前までは女子高生だったはずなのだ。
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
「え?い、いやその・・・そう、うちの香奈ちゃん、水沢さんがよくあなたのこと 心配しているものだから。その・・・」
「そう・・・ですか。香奈が・・・。」
瞳にはなぜだかそのときの亜里沙の顔がとても哀しそうに見えた。
亜里沙の運転する車は走るに従い、乱立するビルの迷路のような裏道へ入っていく。
瞳はこんな暗く無気味な道が東京の中心に存在することがまず信じられなかった。
同時にいつもと様子の違っていた恵美子のことが妙に気になり始めていたのである。
そのときである。
キキッ!
不意に車が停車した。
「な、なに!?」
見れば亜里沙がハンドルに額を押し付けるようにうずくまっているではないか。
「ど、どうしたの本庄さん!?気分でも悪いの!?」
瞳が慌てて亜里沙を抱き起こそうとしたときである。
差し出した瞳の右腕を亜里沙がいきなり掴んだ。
「きゃっ!」
亜里沙は苦しそうにうつむいたまま肩を上下させて荒い呼吸を続けている。
「はあ、はあ・・・ううっ、ピッ・・・はい、了解致しました。
・・・WSD-2プロト1はこれより任務を開始・・・致します。」
妙な電子音が瞳の耳をつく。
そしてその音は亜里沙の頭の中から聞こえてくるようであった。
さらに亜里沙は意味不明の独り言をつぶやき続けている。
「あ、亜里沙さん!!どうしちゃったの、痛い!離して!!」
瞳は例えようもない恐怖を感じとり、自分の右腕を掴む亜里沙の手を振り払おうとしたが、 なんと彼女の腕の力は女性とは思えないすごい力でびくともしない。
「み、御夜咲先生・・・ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
 キュイーン!チチチ・・・。
 奇妙な電子音が再び亜里沙の頭部から鳴り響いた。
「う、うああっ・・・はいっ、はい!ご命令にただちに従います!!だから、 お許しください、ご主人様!!」
意味不明の言葉と苦悶の悲鳴を発した亜里沙がガバッと顔をあげた。
「ひっ!あ、亜里沙さんっ!!あ、あなた一体!?」
そのとき自分を睨みつけた亜里沙の両方の瞳が無気味に赤く点滅発光しているのを見て 瞳は悲鳴をあげていた。その眼は明らかに機械部品で作られた義眼にほかならなかった。
「ほ、本庄さん!?あなたその眼は一体!?う、うあっ!」
「ピッ。御夜咲瞳博士、ようこそマテリアルカンパニーへ。私は"WSD-2プロト1"。 これからあなたを私たちの素晴らしき世界へお連れ致しますわ。」
「な、なにを言っているのよ!あなたは本庄亜里沙さんじゃないの!? いやっ離してえっ!!」
「本庄・・・あ、りさ・・・?わ、私は・・・くうっ・・・」
 頭を左右に振りながら亜里沙は瞳に覆い被さった。
「私は、もう・・・もう、私は違うんです!!」
 もがく瞳を押さえつける亜里沙の右人差し指の先から細い注射針が伸び出る。
「ひ、ひいっ!?」
そのとき瞳は確信した。目の前の亜里沙は人間ではない。
「い、いやああ・・・」
「お願い、先生・・・動かないでください。すぐに楽になりますから。」
亜里沙は無表情とも泣き顔ともとれない表情を浮かべながら人差し指を 瞳の首筋に突き刺す。
「ぐっ、はうううう・・・・・」
 薬品が注入されるのを首筋に感じ取りながら、 途端に瞳はどんよりとした暗闇に意識を飲み込まれていく。
そして彼女の両目から生命の輝きは失われ、その柔らかい肢体は ゆっくりとシートに沈みこんだ。
「み、御夜咲先生・・・ごめんなさい・・・私にはもうこうするしかないんです。 ・・・!!・・・ぐううっ!」
 意識を失った瞳に言葉を漏らした亜里沙がまた苦しそうに頭を抱えてうずくまった。
 全身を激しく震わせながら激痛、それとも苦しみか、 それに耐えていた亜里沙はやがて機械が停止するようにその動きを止めた。
 すっと顔を上げた亜里沙の瞳は今度は青色に点滅している。
「こちらWSD-2プロト1。ただいまご命令どおり任務完了致しました。
・・・はい。これよりただちに帰還いたします。」
 まるで人形のように宙を睨みながら、そうつぶやいた亜里沙は再び席につくと 車を発進させた。
ザアアアア・・・。
夜の闇、そして雨の音に包まれて瞳を乗せた車はその姿を消した。


第一話/終


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