『マテリアル・カンパニー』
作ナイトビダン様
<宇佐見綾子>
第四話 マテリアル・オークション
天海医大の御夜咲瞳研究室で助手を務める女学生・水沢香奈はいつもの溌剌さを微塵も感じさせない厳しい表情を浮かべたまま大学事務室の窓口を叩いた。
「ちょっと待ってください!?長期海外出張なんて、私は聞いていませんよ!?」
すでに瞳と一週間近く連絡が取れなくなっている香奈は、納得できない様子で受付に立った女性職員に噛み付いた。
「私は御夜咲先生の助手ですよ!その私に何の連絡もしないまま先生が長期海外出張へ出かけられるわけないじゃないですか!?」
四十歳くらいの典型的な女性事務職員はレンズの厚い眼鏡を中指で押し上げながら、顔を真っ赤にして声を荒げる香奈を冷ややかに見つめていた。
「そのように言われましても本人から正式な出張申請書類が提出されています。こちらはそれに対して通常の処理を行うだけです」
「だ・か・ら!その書類がおかしいって言っているのよ!わからないの?お・ば・さ・ん!!」
香奈のこの発言にはさすがに平静を装っていた女性職員もあからさまに不愉快な表情を浮かべた。
「あなた…自分のことを助手だ、助手だと言うけれど、ただの学生アルバイトでしょう?御夜咲先生から何も知らされていないってことは…大方、あなたはもうクビってことじゃないのかしら?よくいるのよね、役に立たない研究助手を直接では言いにくいものだから、そうやって暗にクビにする先生方が…」
痛烈な嫌味で反撃された香奈はたまらず言葉を失った。
「こ、このオバン!い、言わせておけばぁっ!?」
我慢の限界とばかりに大声を張り上げる香奈であったが、その瞬間に受付窓口のガラスは勢いよく閉じられてしまっていた。
ドカッ!!
窓口横の壁に握り拳を叩きつけながら、香奈は歩調も荒々しく大学校舎を後にした。
「まったく冗談じゃないわ!御夜咲先生が、…先生が…私に黙って海外出張なんて絶対にするわけがないじゃない…」
そのとき、彼女の独り言は激しい怒りから静かな悲しみの色に変わっていた。
御夜咲瞳は香奈にとって元家庭教師の恩師でもあり、今では憧れの女性研究者である。
そして、それ以上に女としての喜びを初めて教えてくれた特別な存在でもあった。
「私があのとき先生の傍を離れさえしなければ…」
研究室で瞳を見た最後となったあの雨の夜、男友達と遊びに出かけたことを香奈はずっと後悔し続けていた。
「絶対おかしいよ、御夜咲先生にきっと何か起きたに違いない」
先ほどの窓口で提示された書類を確認した限り、それらは正規の処理を介して提出されており、不審な箇所はどこにも見つけられなかった。今の段階では御夜咲瞳が失踪したと呼べる確証はなにひとつ存在していない。
しかし、現に瞳と全く連絡が取れず、このようなことは普通では考えられないことである。
思い起こせば、香奈は親友の本庄亜里沙ともここ一ヶ月ほど顔を合わせてはいない。自宅のPCに定期的に入るメールによれば、彼女は助手を勤めるパンザー博士に従って海外の学会に参加しているとのことであったが殆ど音信不通に近い状態であった。
「早く帰ってきてよ亜里沙…私一人じゃ、どうしたらいいのか…」
一瞬、弱気な言葉を漏らす香奈であったが、その表情はすぐにいつもの力強いものへと戻っていた。
「一人でぐじぐじしていても始まらない!とにかくどんな手を使ってでも御夜咲先生の行方を突き止めて見せるわ!!」
香奈は自分を奮い立たせると、何かを思い立ったかのように走り出すのだった。
*
そのころ、組織によりサイボーグへと改造された本庄亜里沙はマテリアル・カンパニー会長の並々ならぬ寵愛を受けるまでになっていた。
昼間は有能な会長秘書として、そして夜は性処理用の人形として、その機械に改造された身体を捧げさせられる日々が続いていたのである。
亜里沙は会長秘書に任命されるに伴い、会長室に隣接する個室を与えられた。
人間であった頃の亜里沙は明るい色調の服を好んで着ていたが、今は黒いスーツとタイトスカート、ストッキングとハイヒールという黒一色に統一された服を着ている。
マテリアル・カンパニーの構成員たちも皆こういう黒を基調とした服を着用しているが、これにどのような意味があるのか、会長の意向であるということしか亜里沙にも知らされていない。
亜里沙は頬にかかった髪を左手ですき上げた。
その雪のように白い人工の肌にかかる長く美しい黒髪もまた改造された折に植毛された人工毛髪である。
「香奈…」
ディスプレイを見つめていた亜里沙の赤いルージュの引かれた唇が小さく言葉を漏らした。
画面に映っているのは香奈から亜里沙へ送られて来た電子メールの文面である。
「香奈、もうやめてちょうだい。御夜咲先生を探すのはやめて…そうでないとあなたにも危険が…」
亜里沙はそうつぶやきながらうなだれた。その肩が小刻みに震えている。
ピッ!ピピッ!
「はうっ!?」
そのとき亜里沙の瞳が青く点滅を始めた。
彼女の右手首にはパソコンからのケーブルが接続されており、その端末を通して彼女の電子頭脳に直接アクセスしてきた者がいるのだ。
「はい…こちらWSD−2プロト1です」
そのアクセスは隣の会長室からの物であった。
「…かしこまりました。すぐに参ります」
亜里沙の瞳の点滅は通信が切れると同時に停止した。
深くため息をもらしながら亜里沙は立ち上がる。
「そういえば…今日はオークションが開催される日だったわ…」
亜里沙は哀しそうに天を仰いだ。
――オークション。
それは組織が三ヶ月に一度、このビルの地下講堂で開催する闇の商品発表会である。
そこでは組織が用意したサイボーグの素体を始めとする各種マテリアルの売買が行われ、契約が成立した素体は即座にクライアントの注文に応じて手術や調整が施される。クライアントも世界各国の財界・政界の有力者が多く、これらを顧客とするこのオークションは組織の重要な収入源のひとつでもあった。
「会長、お呼びでございましょうか」
会長室はビルの最上階にある。
部屋の奥に置かれた巨大な机にマテリアル・カンパニー会長は座っていた。
「諜報部より、おもしろい報告がもたらされた」
「はい?」
亜里沙は微笑を浮かべて進み出た。その笑みは彼女の意志から生まれた表情なのか、それともプログラムの産物なのか、亜里沙自身にもわかってはいない。
「御夜咲瞳の行方を追っている娘がいるようだ」
ディスプレイ画面を確認していた会長が机の上で両腕を組むと、正面に立つ亜里沙に向けて無気味な笑みを浮かべた。
「どう思うかね、亜里沙?」
会長のその言葉を受けて、亜里沙は用意してきたオークションの資料を取り落とした。
その血の通っていない白い肌が、さらに白くなったかと思えるほどの動揺が亜里沙の顔を染めてゆく。
「その娘の名前を教えてやろうか…“水沢香奈”。そう、おまえの親友だったな?」
「あ、ああっ、そ、その…」
「このまま放置すれば、いずれ御夜咲瞳だけではなくおまえのことも不審に思い出すことは間違いないだろう」
会長の口から発せられる言葉の一つ一つに亜里沙は身体を震わせる。
「か、香奈には、私はパンザー博士と海外の学会へ参加していると伝えてあります…ご、ご心配には及ばないかと…」
「なぜそう言いきれるのかね?ふふ…いっそのこと、その娘も組織に引き入れるか…その方がおまえも御夜咲瞳も喜ぶのではないか?」
「そ、そんなこと!?」
亜里沙が焦りと驚きに満ちた瞳を会長に向ける。
「お願いです!香奈には、香奈には手を出さないでください!!お願いします!!」
そのとき亜里沙ははっと息を飲んだ。
顎の下で腕を組んだ会長が、正面から亜里沙を凝視している。
会長の両目は黒いサングラスで隠されているが、その奥から放たれる鋭い眼光はサイボーグであるはずの亜里沙を恐怖で凍りつかせるのに充分な威圧感を含んでいた。
「あ、ああ…」
あまりの恐怖で亜里沙は両目を見開いたまま、二、三歩後ずさる。
「WSD−2プロト1、答えろ…貴様は私の何だ?」
「わ、わ、私は、組織の…ち、忠実なサイボーグ…です。会長に…絶対服従を、誓った、ど、奴隷です…」
亜里沙の唇が小刻みに震え、白い歯がカチカチと音を鳴らし始める。
「その奴隷が私に意見するとは…やはりもう少し人間の感情を消去した方がよいかもしれんな」
「そ、それだけは、それだけは、お許しください…お許し、くだ、さい…」
首を左右に振りながら亜里沙は恐怖に耐え切れなくなった両目から涙ならぬ褐色の潤滑油を溢れ出していた。
「随分とお楽しみのようですな、会長」
そのとき亜里沙を救ったのは皮肉にも会長室に入ってきたパンザー博士であった。
パンザーは骨ばった頬の肉を引きつらせるような笑みを浮かべて近寄ってくる。
「パンザー、おまえから譲り受けたこのサイボーグだが…いささか反抗的でな」
「お望みとあれば、いつでもこいつに残った生体脳を全て機械化して差し上げますが?」
「ふ、それではただの人形と代わらないではないか」
パンザーと談笑を交わす会長から急速に怒気が消滅するのを感じて、亜里沙はそのまま床にへたりこんだ。
生体脳を全て機械化されれば、それはもはや人間でもサイボーグでもない。ただの機械人形――ロボットである。
ロボットに自我は存在しない。いや必要ないのだ。
サイボーグにされた人間にとって、感情を消去されるということは唯一の生体組織である「脳」を機械化されることであり、それはまさに死刑宣告と同等の意味を持っているのだ。
「しかし会長がここまでこのWSD−2プロト1をお気に召すとは思ってもおりませんでした」
パンザーのこの言葉に会長はただ口を歪めて見せる。
「そういえば…どことなく雰囲気が似ていますかな。あの御方に…」
「え?」
亜里沙はパンザーの視線が自分に向けられるのを見て、その言葉の意味が理解できずにただ立ち尽くすしかなかった。
「…パンザー。その話はするな」
鋭い口調で言葉を遮られたパンザーは苦笑を浮かべると、亜里沙に向けていた顔を戻した。
「亜里沙、おまえはさがっていい。先の件は追って指示を下す。まずは今夜の準備を怠るな」
「か、かしこまりました」
亜里沙は事態がよく読みこめないまま、一礼すると早々に退室して行った。
「…パンザー。今の件…他言すれば、例え貴様といえども容赦はせんぞ」
「かしこまりました。申し訳ございません」
パンザーは悪びれた様子もなく謝罪した。
「ふ、まあいい…。おまえが確立した生体改造技術は世界でも最高水準の物だ。その技術のおかげで我が組織は莫大な利益を得ることができている。私は君に感謝しているのだよ」
「…私は、かつて人体実験をある筋に暴露され“狂気の科学者”“悪魔の使徒”などと呼ばれたあげく学会を追放されました。そんな私を拾ってくださったのは会長です。あなたには施設と豊富な研究資金、実験材料を与えていただきました。感謝の言葉もございません」
二人は互いの顔を見合わせ、低い声で笑いあった。
「今夜は三ヶ月ぶりのオークションだ。パンザーにはまた働いてもらわなくてはならん」
「その件ですが、今夜のマテリアルのひとつをあの御夜咲瞳に改造させようかと考えております」
そのとき秘書室に下がっていた亜里沙の耳にも御夜咲瞳の名前が聞こえていた。彼女は気付かれないように壁際で聞き耳を立てる。
「ほう、しかし御夜咲瞳はまだサイボーグに改造してから一週間たらず…洗脳処理もまだ施していない。おとなしく我々のために働くとは思えないが?」
「会長はおっしゃったではありませんか?…あの女は我々と同類だと。すでに仕込みは万端整えてあります。ククク…」
そのときパンザーの無気味な笑みを覗き見た亜里沙は、何か例えようもない不安を感じずにはいられなかった。
*
御夜咲瞳は深い眠りから覚醒しようとしていた。
しかしそのまどろみの中に映し出された光景はおぞましい瞳自身の改造手術の記憶であった。
白く美しいその身体を斬り開かれ、血に濡れた臓器が無造作に摘出されてゆく。そしてポッカリと空いた空間に冷たい機械で造られた人工臓器が埋め込まれてゆくのである。
「やめて!私を人間に戻して!機械になるなんて嫌ぁぁぁっ!!」
瞳は半狂乱になって泣き叫ぶが、彼女の周囲を取り囲む白衣姿の技術者や看護婦たちは淡々と手術を続行する。
「助けて、こんなの嫌、嘘よぉぉ…」
御夜咲瞳の眼下に横たわっているのは複雑精密な金属部品や電子回路で組み上げられた彼女の新しい機械の身体であった。
「ほうら、奇麗にできあがったわ」
そのとき瞳は技術者の女が妖艶な微笑を浮かべるのを垣間見た。
彼女の唇を彩る紫色のルージュが興奮にてらてらと輝いているのがわかる。
「ひどい…ひどいわ…どうして私がこんな目に…この悪魔ぁっ!!」
涙を流しながら瞳はその女技術者に罵声を浴びせる。しかし女技術者はその言葉を心地よさそうに受け止めているようであった。
「あなたが望んだ結果じゃない。もっと自分に素直になりなさい、瞳…」
「な、なにを馬鹿なこと……!?」
瞳の声はそこで途切れた。
「そ、そんな…あなたは…うそ、こんなことって…」
驚愕の表情を浮かべたまま、瞳は女技術者の顔を凝視し続けていた。
そんな瞳を見つめる女技術者がゆっくりと顔を近づけてくる。
影に隠れていた彼女の素顔が明らかになるにつれて瞳の喉からは恐怖の悲鳴が迸った。
その女技術者は誰でもない御夜咲瞳自身であったのだ。紫のルージュとアイシャドウが妖艶な別人のような御夜咲瞳が、そこにいたのである。
「あなたは私、私はあなた…私はあなたが心から願う姿に造り替えてあげたの…あなたは生れ変わったのよ、瞳…」
「いやっ!いやっ!違うっ!違うっ!私は、私は…あなたなんかじゃない!!こんな機械の身体なんて望んでいない!」
激しく首を振る瞳だがその金属で造られた新しい肉体は微動だにしない。
そんな瞳の身体に別の二人の看護婦が近寄るとその表面を愛しそうに触り、撫であげ始めた。
「な、何!?あなたたちは一体誰なの!?」
「瞳、あなた…私が改造されているのを見て欲情していたでしょう?私は知っているのよ…うふ」
「あ、ああっ、め、恵!?あなたは恵なの!?」
「私もいるよ、瞳…私よ、玲子よ。私が三人の中で一番最初に改造されたこと、憶えている?怖かった、本当に怖かったわ…でも、今はこの機械の身体を気に入っているわ。」
「れ、玲子…そんなどうしてあなたたちが…」
恵と玲子は、無気味な笑みを浮かべながら冷たいガラス玉のような眼を見開いて瞳に顔を近づけてくる。
「瞳、あなたも私たちのようになりたい、改造して欲しいって思ったのでしょう?」
「そして自分も誰かを改造してみたいって…私たちが改造された手術を自分も誰かに施してみたいって思ったでしょう?」
かつて記憶の奥底に封印されていた親友の二人、恵と玲子の甘い囁きを瞳は必死に否定しようとしていた。
しかしなぜか首を横に振ることができないのである。
「違うっ違うっ!いやああああああああああっ!!!」
世界が閃光に包まれて白一色に染まる。
御夜咲瞳は意識をゆっくりと覚醒させた。
そのとき瞳は全裸であること、そして自分が寝かされているのが柔らかいベッドではなく冷たい金属のカプセルの中であることを知った。
暗鬱たる気持ちに胸を締め付けられながら、瞳は先ほどまで見ていた夢を思い出し、それを頭から振り払うかのように顔を横にそむける。
「ここは…調整カプセル…」
瞳はパンザー博士の手で改造手術を施された後、この暗い研究室に設置されたサイボーグ専用調整カプセルの入れられたことを思い出した。
「誰か…いないの?」
カプセルは透明なクリアガラスで覆いがされており、中で寝かされている瞳からは外の様子を判別することは難しい。
瞳は身体を動かそうと試みたが、それも徒労に終わった。
首や腰、両手足が強固な金属ベルトによって拘束されていたのである。
しかしそれだけが原因ではない。
このとき手足を動かそうとした彼女の頭の中に「駆動系制御停止中」のエラーコードが伝達されてきたのである。
やや頭をあげて自分の身体を眺めてみれば、その身体の各部に大小のコードやチューブが接続されていた。
それを確認するだけでも、瞳は自分の身体がもはや温かい生身ではないことを再認識せざるを得なかった。
――私、本当にサイボーグにされてしまったのね…。
そのときである。
「お目覚めですか?…御夜咲先生」
カプセルの外で人らしき影が揺らめき、声をかけてきた。
数秒を経ずしてカプセルが開放される。
そこには瞳の様子を覗きこむ一人の女性の姿があった。
「綾子ちゃん…あなただったの…」
瞳は少しだけ安堵の笑みを浮かべた。
彼女の名前は“宇佐見綾子”。年齢は二十歳だという。
改造手術後の精神安定のため、パンザー博士の命令で御夜咲瞳の世話係を命じられた女性である。彼女は得体の知れない組織の人間たちとは違い、控えめだがよく笑う朗らかな女性であった。
機械体に改造されたばかりで、まだ思うように動けなかった瞳は一生懸命に自分の面倒を見てくれる綾子にだけは警戒心を解いていた。
綾子には他の組織の人間とは違う人の温もりがあったからである。
また、瞳は無意識のうちにこのよく笑う綾子と、あの水沢香奈とをイメージとして重ねて見ていたのかもしれない。
綾子は組織の構成員とは違う、全身にフィットする黒い袖なしのレオタードと肘上まであるグローブ、そしてロングブーツを着用させられていた。正直な所、外を出歩けば何かのコスプレかと間違われるであろう姿である。
「少し待ってくださいね」
優しく語りかけながら綾子は手にした注射器を瞳の首筋の端子に打ち込む。その投与された薬品が生体脳の活動を活性化させる物であることはすぐに理解できた。
どんよりと濁っていた瞳の義眼がカシュンカシュンと音を立てながら動き始める。
「どうですか?少しずつスッキリしていきますから」
「ええ、ありがとう。言葉も…ちゃんと喋ることができるわ」
綾子が微笑み、瞳もそれに応える。
「御夜咲先生の身体は殆ど機械化されているそうですが、生体脳だけは手を加えられていないそうです。ですから、生体組織保持のためにこういう薬品に頼らなくてはならないそうで…」
「やめて!そんな話聞きたくない!!」
いきなり強い口調で言葉を封じられ、綾子は身体を硬直させた。
「…ご、ごめんなさい…御夜咲先生は、自分から希望されてサイボーグになられたのではなかったですね…」
「当たり前よ…誰が好き好んでこんな冷たい機械の身体になんかなるものですか…私は無理矢理…ううっ…」
綾子は黙ってカプセルの中に手を伸ばすと、瞳の身体を拘束している金属ベルトを外し始める。
「綾子ちゃん、あなたはどうなの!?あなたも私をここに連れてきた亜里沙さんと同じサイボーグなのでしょう!?」
「わ、私は…」
厳しい口調で問い詰めてくる瞳の視線から綾子は思わず顔をそむけた。
「私は…まだ…人間です」
綾子のその意外な回答に今度は瞳が言葉を失った。
「まだ…人間?…で、でも、あなたのその服…」
「はい、これはサイボーグに改造される素体が着せられる服です。なんでも改造手術時の肉体的負担を軽減させる機能が備えられているそうです。どういう理論なのかは知りませんけれど」
「そんな、改造手術って…まさかあなたは自分から私と同じこんな機械の身体になるって言うの!?」
「はい…」
綾子はキュッと下唇を噛み締め、自分の首に巻かれた黒い革ベルトを握り締めた。そこには三桁数字の刻印が刻まれたプレートが取り付けられている。
「私は、もうサイボーグになるしか…ないんです…」
「どうして!?綾子ちゃん、あなたはサイボーグに改造されることがどういう事なのか本当にわかっているの!?人間じゃなくなっちゃうのよ、好きな人と結婚して子供を産むことだってできなくなるのよ!?」
瞳は必死に身体を起こすと、まだ思うように動かない腕を伸ばして綾子の肩を掴む。
うつむいていた顔を上げた綾子は、そのとき寂しそうに微笑んだ。
「お父さんの工場が倒産して、莫大な負債を抱えちゃったんです」
「え?」
「それで、もうどうにもならなくなって、一家心中するところまで行っちゃったんですよね…そのとき負債を肩代わりして助けてくれたのが、この組織だったんです」
「でも…だからって、あなた…」
「御夜咲先生?“セクサボーグ”…って知っていますか?生きた人間を素体に改造した性処理用のサイボーグです。今、世界中のお金持ちの間で需要が凄く多いらしくて…私たちはその素体として組織にこの身体を買ってもらったんです。おかげで…お父さん、お母さん、首を吊らなくてすみました、えへへ」
「綾子ちゃん、あなたって子は…」
綾子は笑っている。しかし、やがてその瞳からは涙が溢れ出していた。
「い、嫌だなあ、御夜咲先生…。そんな顔しないでくださいよ。全部、私と妹の二人で決めたことですから…、それに妹の幸恵はもう…」
そこで綾子は、言葉を詰まらせた。彼女が泣きながら浮かべている笑みはとても哀しい。
「妹さんって…まさか…」
「はい。前回のオークションでアメリカの大富豪さんに売却されました。…本当は私がそのとき出品される予定だったんですけれど、その…月のモノが来ちゃって…。そのとき幸恵ったら「お姉ちゃん、最後の女の痛みなんだから存分に味わってね」って…生意気ですよね。私に内緒で…勝手に順番を代わって…」
「優しい…妹さんだったのね」
「ええ、世界一の妹です。それに私、手術室に入れられる直前の幸恵と約束したんです。私もすぐに行くよ…って。エヘヘ、お、おかしいな…涙が止まらないや、改造されればもう泣くこともできなくなるそうだし…これを泣き収めにしなくちゃ」
人差し指で涙を拭いながら綾子は絶えず微笑み続けていた。常に瞳を元気付けようとしているのか、それとも自分自身を元気付けようとしているのか、自分の身代わりとなって改造されたという妹への想いなのか、その微笑の意味はわからない。
「御夜咲先生…実は今日で先生ともお別れなんです」
「お別れって…どういうこと?」
「私、今夜のオークションで出品されます。どこの誰に買われるのかはわかりませんが、商談が成立したらすぐにセクサボーグへの改造手術を受けることになります。…だから、もう御夜咲先生のお世話も、お会いするのもこれが最後になると思います」
「あ、綾子ちゃん…」
あまりに突然の告白を前にして、瞳にはもう彼女にかける言葉は残されていなかった。
脳が泣きたいと悲鳴をあげているのがわかる。しかしサイボーグに改造された今の瞳にはもはや涙を流すことはできなかった。
両手を差し出した瞳は優しく綾子を抱きしめる。
「綾子ちゃん…今の私にはこんな冷たい機械の身体であなたを抱きしめてあげることしかできない…ごめん、ごめんね…」
「御夜咲…先生?」
瞳のコードがつながれた造り物の乳房に顔を埋めた綾子の顔から笑顔が消える。そしてその顔が悲しみに歪んだ。
「…う、うう…怖い、怖いです、御夜咲先生…改造されるなんて、私、嫌です…サイボーグになんか…なりたくないです…お母さん…お父さん…幸恵ぇ…う、うえええ…」
綾子は緊張の糸が切れたように大声で泣いた。
そんな綾子を瞳は黙って受け入れるしかなかった。
どれくらいの時間が過ぎたであろうか。
嗚咽で肩を震わせ続ける綾子を抱きしめる瞳は綾子の背中に視線を注いでいる。
そのとき彼女は己の心の中で妙な感覚が芽生え始めたことに気が付いていた。
――え?なに?この感覚は…。
数時間後にはその身体を斬り刻まれ、冷たい機械の身体へ改造される娘が自分の胸の中で恐怖に震えている。
それを認識した時、彼女の性感神経が熱く反応し始めていたのである。
――熱い…身体が熱いわ…この感覚…私…一体どうしちゃったの?
瞳の義眼が赤く輝き始める。
そのとき彼女には先ほど夢の中で恵と玲子が自分に告げた言葉がよみがえってきていた。
――自分も誰かを改造してみたいって…私たちが改造された手術を自分も誰かに施してみたいって思ったでしょう?
次の瞬間、瞳の脳裏には綾子の瑞々しく柔らかい肢体が解体改造されている光景が、深窓意識の中からまるで現実の事のように映し出されたのである。
いつしか御夜咲瞳に妖しい笑みが浮かんでいた。
――そうか…こうゆうプロセスで人間を機械に改造してゆくのね。うふふ。
「ひゃ!?み、御夜咲先生?」
不意に背中を撫で上げられて綾子は瞳から慌てて身体を突き離した。
予想もしていなかった瞳の行為に綾子は目を白黒させている。
しかし、それは瞳も同様であった。
彼女も今、自分を一瞬とはいえ支配していた感情に驚いていたのである。
だからと言ってそれを口に出すことは瞳自身にとっても恐ろしいことであり、彼女は必死に綾子への表情を取り繕った。
「ご、ごめんなさい綾子ちゃん、変な事をしてしまって…」
「い、いえ。気になさらないでください…あの、ありがとうございました。…私、もう行かなくては…」
「綾子ちゃん…」
「さようなら、御夜咲先生」
綾子は最後にもう一度だけ瞳に笑顔を見せた。これが彼女の笑顔を見る最後になるのであろう。瞳はそれを正視することができず、顔をうつむかせた。
綾子の履いたブーツの靴音が遠ざかって行く。扉が開く音が聞こえ、そして閉じられた。
「あ、綾子ちゃん!!」
瞳が顔を上げた時、綾子の姿はもう無かった。
*
綾子を始めとする今晩オークションで出品される娘たちは地下の一室に集められた。
ここにいる人数は綾子を含めて五人である。
人数だけで見れば少ないと思われがちだが、実際に売買されるマテリアルの数はもっと多い。今回、“セクサボーグ”の素体として売り出されるのがこの五人なのである。
彼女たちは綾子のようにやむにやまれぬ事情を持つ者もいれば、良質な肉体に目をつけられ半ば拉致同然に連れ去られて来た者もいた。
全員あの黒いレオタードを着せられており、今日この日のために改造手術の前準備を施されていたことは明白であった。
「みなさん、お待たせしたわね」
一列に整列させられた彼女たちの前に妖艶な黒のボンデージドレスを着た金髪美女が姿を現した。
誰あろうパンザー博士直属の女サイボーグ――ローズである。
「これから全員、ここに用意した薬を服用してもらうわ」
ローズがその手に掲げて見せたのは栄養ドリンクのような小ビンに入った透明な液体であった。
「あ、あの…それはどういう薬なのですか?」
その怪しげな薬の服用を命じられ、不安にたまりかねた娘の一人がローズに問い掛けた。
ローズは無気味な笑みを浮かべてこれに応える。
「この薬は組織が開発した催淫剤…“媚薬”よ。それもとびっきり強力な奴」
「び、媚薬っ!?」
娘たちにざわめきが走る。
「この薬を一口飲めば一切の羞恥心は消滅し、ひたすら男の身体が欲しくて欲しくてたまらない淫乱な一匹のケダモノ…そう、牝犬になることができるの」
「ど、どうして私たちがそんな薬を飲まなくてはいけないんですか!?」
そのときローズの視線がそう声を上げた娘をにらみつけた。
鞭が飛ばなかったのは彼女たちが大切な商品であり、傷つけるわけにはいかないからだ。
「どうやら、おまえたちは自分の立場というものが理解できていないようね?」
まるで絞め殺されるのではないかというローズの恫喝に娘たちは恐れおののき、お互いの肌を寄せ合った。
「この薬はせめてもの情けよ。おまえたちがせいぜいクライアントの皆さんに気に入っていただけるようにというね」
彼女たちはローズの言葉に一様にしてうなだれるしかなかった。
言うまでもなく彼女たちは性処理用サイボーグ“セクサボーグ”へ改造される運命なのである。そしてその前にまずは生身の自分を気に入ってもらわなければ買い手などつくはずが無いのだ。
「買い手のつかない商品がどうなるかは教えてあげたはずよね。憶えているかしら」
そのとき小さな悲鳴が娘たちの口から洩れ、全員の表情が青ざめた。
「売り物にならないなら売り物になるようにするだけ。新鮮な臓器だけでも売り物になるし、そうそう…美女の剥製を置物として欲しがるマニアも多いと聞くわ…ウフフフ」
ローズの言うことは脅しでも何でもなく、紛れも無い現実であった。
やがて綾子たちに一本ずつ媚薬の入った小ビンが手渡され、それと同時に結婚式に着るような色とりどりの美しいドレスも配布された。
「オークションのステージにはそれを着て立つのよ。いい旦那さま…いえ、御主人様に買っていただけるように一生懸命ご奉仕して自分を高く売り込むのよ」
からかうような調子でそう言ったローズは役目を終えたとばかりにそのまま退室して行った。
娘たちに残されたのは例えようもない絶望と恐怖のみであった。
泣き叫び母親に助けを求める者、絶望に飲み込まれ呆然としたまま床に崩れ落ちる者、閉じられた扉にすがりつき助けを求める者、娘たちはそれぞれに迫り来る運命の刻を待つことになったのである。
その中で綾子だけは平静を保っていた。
彼女は白い純白のドレスを両手で手に取る。
「お父さんやお母さんに見せてあげたかったな…。そうだ、幸恵もこれを着たのかな?…幸恵…お姉ちゃんも、もうすぐ…」
そうつぶやく綾子の表情は不思議と穏やかであった。
間もなくオークションが始まる。
「レディース・アンド・ジェントルマン!これよりマテリアル・カンパニーオークションを開始致します!!」
暗い地下講堂に狂気の宴の開幕を告げるベルが鳴り響いた。
第四話/終
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