『マテリアル・カンパニー』

作ナイトビダン様



<水沢香奈>

最終話 ヒトを捨てよ、そして機械へ

 水沢香奈は親友の本庄亜里沙が、この恐ろしい組織の中で既にかなりの権限を持たされていることを知り、少なからず驚き、かつ愕然とさせられていた。
「私は御主人様である会長の秘書であり、同時に所有物なの。だから下級構成員如きが私に口出しなんてできないわ」
 亜里沙は赤いルージュの引かれた唇に冷たい笑みを浮かべ、なんの疑問も躊躇もなくそう言った。
その物言いといい、仕種や表情といい、そこには香奈の知る以前の亜里沙の面影は欠片も残ってはいない。
亜里沙はサイボーグに改造されてしまったことで、もうこの組織の一員になってしまっている。
この哀しい現実を香奈は受け入れざるを得なかった。
「でも心配しないで、どんなことがあっても香奈だけはここから逃がしてあげるからね」
 施設は暗く細い通路が張り巡らされており、予想外に広かった。正直、もしも香奈一人で逃亡を図ったとしても、すぐに道に迷った挙句に捕まってしまっていたであろう。
 選択の余地など無かった。
今となってはこの地下施設から脱出するには亜里沙を信用するしかない。例え肉体の殆どを機械に改造されているとしても彼女は本庄亜里沙なのだ。まだ自分を友達と呼んでくれる、心を持った人間なのだ。それを信じて、今は彼女にこの身を委ねるしかないと香奈は覚悟を決めた。
「マテリアルカンパニー?」
「そう、マテリアルカンパニー。この組織の名前よ」
 下降するエレベーターの中で亜里沙はこの組織について簡単に説明していた。
「マテリアルカンパニーって言ったら、あのロボットアイドルグループの開発を手がけて一気に伸し上がった大企業でしょう?」
そのとき香奈は思わず顔をあげた。
「ちょっと待って!ロボット…サイボーグ…ま、まさか、そんなことって…」
 香奈の疑問に亜里沙は無言で頷いて答えた。
今から十五年程前、人間そっくりの踊りと歌声で芸能界に登場し、一躍話題となった女性型アンドロイドのアイドルグループ「DOLLS」を知らない人間はいない。彼女たちはバージョンアップと称してしてメンバーの入れ替えを頻繁に行い、現在でも変わらない人気を保持し続けている。
 もちろん香奈も亜里沙も幼い頃からDOLLSをテレビで見て育ってきた世代である。
――大きくなったらDOLLSのメンバーに入る。
これは幼い女の子たちに将来の夢というアンケートを取ると返って来る定番の回答である。そして彼女たちが人工的に造られたアンドロイドと知っている大人たちは、それをたわいも無い憧れと笑って言うのだ。
あれは人間ではないのよ、機械で出来たただのお人形さんなのよ、と。
しかし、真実を知ってしまった今の香奈には笑ってそう答えることなど到底できるはずもなかった。
「…まさか、それじゃあ…「DOLLS」はアンドロイドなんかじゃなくて…」
 亜里沙の黒く透明に光る瞳が全てを語っていた。しばしの間を置いて彼女は驚くほど無感情に答えた。
「彼女たちは人間よ。いえ、“元”は人間だった…と言うのが正しいわね」
 香奈は絶句した。子供の頃からテレビで見ていたアンドロイド少女たちがまさか改造された本物の人間であったなどと信じる以前に、信じたくなかった。
「香奈、寒くない?」
 不意に亜里沙にそう言われて、香奈は自分が震えていることに気付いた。ブーツとロンググローブを着用しているとはいえ、肌に着けているのは謎の合成繊維で作られたレオタードのみなのだ。気温も明らかに低い。
「亜里沙こそ、私とたいして変わらない格好してるじゃない。風邪ひいちゃうわよ、あなたはいつも…あっ、ご、ごめんなさい」
 気まずい雰囲気が狭い空間に立ち込めた。
「そうよ…私は…もう寒さを感じない体だから」
そのとき幸いにもエレベーターがやっと停止し、扉が開いた。
お互いに安堵したのか二人は表情を緩ませた。気を取り直した亜里沙が香奈を促しながら足早に足を踏み出す。そのとき正面を向いた二人の動きが止まった。
 そこには、信じられないことにエレベーターを何重にも取り囲む武装した黒服の男たちが待ち構えていたのだ。
 正面中央の人壁が左右に開き、黒革のドレスを着たブロンド美女が予想外の事態に困惑する亜里沙たちの前に進み出てくる。
「随分と大胆なことをしでかしたわね、WSD−2プロト1。組織を裏切るなんて、サイボーグのあなたには不可能だということがわからなかったのかしら?あなたの行動は全て脳に埋め込まれた発信機でトレースされていることを知らなかったようね」
「ろ、ローズ様、聞いてください。私は組織を裏切るつもりはありません。ただ…ただ親友の香奈を救いたかっただけなんです」
「それが裏切りなのよ!組織のマテリアルを逃がそうなんて絶対に許されないわ!」
 ローズは鋭い一喝を浴びせかけると、掌から飛び出してきた鞭を亜里沙目掛けて叩きつけた。
亜里沙はその攻撃を後ろに飛び退いて避ける。
「香奈は後ろに下がって、絶対に前に出てはだめよ!」
 初めて見る亜里沙の恐ろしいまでの表情。
「戦闘モード起動、プログラムスタート…」
 亜里沙の呟きと呼応して彼女の瞳が赤く明滅し、その頭から電子音が鳴り響き出す。そして次の瞬間、彼女の細い両腕に嵌められた手袋を引きちぎって黒光りする無骨な機関砲が姿を現した。
 その両腕を前に突き出して身構える亜里沙を見て香奈が思わず小さな悲鳴をあげる。
「驚いた。本当に組織を裏切るつもりのようね」
「先日、会長秘書として護衛用武装を装備する再改造を受けたばかりです。お願いです、道を開けてください!」
 激しい轟音が響き渡り、機関砲が咆哮する。もちろん威嚇である。ローズの足元に銃弾の火花が巻き起こり、彼女の周囲にどよめきが走る。しかしローズだけは眉ひとつ動かさず微動だにしてはいなかった。
「…うふふ、素晴らしいわ、パンザー博士があなたに目をつけたのは間違いではなかったみたいね」
 パシンとローズの鞭が床を叩く。
「性処理サイボーグだけでなく、戦闘用サイボーグとしても開花するなんて、さらに再改造を加えればどんな優秀なサイボーグになるのか…楽しみだわ」
聞くにおぞましい言葉を耳にしながら亜里沙は唇を噛み締めた。サイボーグに改造された身であるにも関わらず、その背筋に悪寒が走った。
「そこをどいてください…今度は本当に命中させますよ」
 亜里沙の恫喝は少なくとも黒服の男たちには恐ろしい物に感じたに違いない。彼女がどんなに美しい容姿を持っていようとも血も涙も無い機械人間であることを彼らは知っているからである。
「香奈、私についてきて。離れちゃだめよ」
身構えたまま亜里沙は香奈を背中に連れて一歩ずつ前へ進み出る。
ローズがただ一人立ち塞がっていた。
「情けない男どもだこと。全員、後で処分してやろうかしら」
鞭の柄に妖しく舌を這わせながら、ローズは近づいてくる亜里沙と対峙した。
「どいて…ください…」
亜里沙の機械で造られた瞳が冷たい殺意を込めた光を放っている。
「いいわよ、その瞳…感情を消去し、欲求のままに行動する。それが人間を捨ててサイボーグになった者にとって最高の快楽となるのよ」
 鼓膜を引き裂くかのような機関砲の炸裂音が地下空間に轟き渡った。
 今度は容赦なくローズを狙った。しかしローズの動きはその亜里沙の想像を超えていた。
 蝶の如く舞い上がったローズが黒革の衣装に身を包んだ肢体を空中で華麗に回転させる。
彼女の金色の髪が一本の曲線、光の軌跡を描いたように見えた。
風が鳴った。
 ローズの鞭が刃と化し、亜里沙の身体を一閃したのだ。
 悲鳴はなかった。あげる暇がなかった。
驚きの表情を浮かべる亜里沙は己の左腕が鈍い音を立てて地面に落ちる光景をただ眺めていることしかできなかったのである。
「おまえが私に歯向かうなんて一万年は早いわよ」
 音も無く着地し、その身体を翻したローズの腕が再び鞭を振るう。
今度の鞭の一閃は白い電撃光に包まれていた。それを見た亜里沙が悲鳴をあげる。
 改造されて間もない頃、ローズにこの電気鞭でどれだけ調教を受けたであろうか。生体脳が焼き切れるかと思えるほどのあの凄まじい激痛と苦しみ、その記憶がメモリーとして彼女の生体脳に強烈な恐怖という負荷を与えた。
「いっておしまい!」
「ぎゃあああああああっ!」
 亜里沙の全身が白熱光に包まれたかと思うと、その身体は真っ黒に染まった。
衣服は高熱で弾け飛び、白く美しかった人工皮膚も瞬時に焼け焦げていた。また全身の引き裂けた皮膚のいたるところから内部機械が露出し、そこからショートによる火花が激しく吹き上がった。
 煙を立ち昇らせ呆然と立ち尽くす亜里沙のこの無残な姿を見て、香奈は両手で口を押さえて言葉を失った。
「香奈…ごめんなさい…」
 その呟きを残して亜里沙が糸の切れた人形のように倒れ伏す。
 そんな彼女の頭をローズはブーツのヒールで無造作に踏みつけた。
「ひぎっ」
「痛い?苦しい?なまじ生体脳を残しているからつらいのよ。このままつぶして楽にしてあげましょうか、うふふふ」
 妖鬼の笑みを満面に浮かべてローズは激しく踏みにじる。
「やめて、もうやめて!亜里沙が死んじゃう!これ以上、ひどいことしないで!」
 そのとき香奈は心臓を貫かれるかのような感触を味わった。ローズがその視線を彼女に向けたからだ。その手の鞭が荒々しく床を叩く。
「うるさいマテリアルね。お望みなら、あなたもお仕置きしてあげるわよ!」
 ゆっくりとローズが香奈に近づく。それに合わせて香奈も怯えて後ろに退く。
「や、やめて、そんな鞭で打たれたら…死んじゃう」
「死ねば?」
 冷たく言い放ったローズが鞭を振り上げたそのときである。思いもかけない殺気を感じて彼女は振り返った。
 満身創痍の亜里沙が立ち上がっていたのだ。それも残された右腕の機関砲を正面に掲げている。
「私の香奈に手を出さないでぇっ!」
 絶叫と共に亜里沙の機関砲が火を噴き、ローズの右手首を鞭もろとも撃ち飛ばしていた。
さらに亜里沙は正面のローズに照準を固定する。この至近距離で撃てば万が一にも外すことはないだろう。すでにロックオンを告げる赤いシグナルが亜里沙の網膜に映し出されている。
「や、やってくれたわね…撃つの?あなたに私を撃てるのかしら?」
「う…撃てるわ…香奈を…守るためなら…」
「じゃあ、どうぞ。狙いはここ、額の真ん中よ。私の生体脳…ちゃんと狙いなさい」
「撃ち…ます」
香奈はこの緊張に耐え切れず耳をふさいで顔を背けた。
この場に居合わせた誰もが次の瞬間に女サイボーグ同士の戦いの終わりを告げる銃声が鳴り響くであろうと思っていた。
しかしいつまで待っても亜里沙の右腕が火を吹くことは無かった。
「お遊びが過ぎるぞ、ローズ」
通路の奥から聞こえてきた、その声の主を香奈は知っていた。パンザー博士だ。
スーツの上に白衣を着た薄気味の悪いパンザー博士は右手に小さな装置を持っており、それを掌で弄んでいる。
このとき初めて香奈は亜里沙の異常に気がついた。
小さな電子音が絶え間なく彼女の頭から聞こえてくる。そして彼女はまるでスイッチが切れた人形のように全身の動きを停止させてしまっていたのである。
「そ、そんな亜里沙…どうしちゃったの、返事をしてよ、亜里沙…亜里沙ぁーっ!」
 駆け寄った香奈がどんなに亜里沙に呼びかけようと、肩を揺すろうと彼女の身体は微動だにしない。光を失った暗い瞳だけが空しく宙に向けられ、そこにはもう何も映ってはいなかった。
「何をしたの、あなたたちは亜里沙に一体なにをしたの!」
 亜里沙にすがりついたまま迸る怒りの感情に任せて香奈は叫んだ。
「生体脳と機械体の接続を強制的にカットしたのさ。殺してはいないから安心したまえ」
「パンザー博士…あなたが、あなたが亜里沙を…御夜咲先生を…」
「おっと、動かないことだ。このリモコンのスイッチを入れれば彼女の生体脳の収められたカプセルを瞬時に破壊することもできるのだよ」
 香奈はそれを聞いて蒼白になった。それが脅しでもはったりでもないことは彼らの一連の行動を見ていれば明らかだったからだ。
「それよりも君も愚かな真似をしたねえ、水沢香奈くん」
 全身を舐め上げられるようなパンザーの言葉に香奈は何かを口にしかけてそれを呑み込んだ。
「本庄亜里沙くん、そして御夜咲瞳博士…二人とも君だけには手を出さないで欲しいと要求していたのでね、我々もそれを承知していたのだが…まさか君の方から出向いてくるとは。これでは二人の苦労も水の泡だ」
 このとき香奈の顔が紅潮した。
「本当に馬鹿な娘ね。あのまま二人のことなんて忘れてこそこそ動き回らなければ、今頃は普通に楽しく生きていられたのに…好きな男をつくって、結婚して、子供を産んで育てる…人間の女として当たり前の幸せな人生を送ることができたのに…うふふ、でもそれももう無理ね」
「む、無理って…どういうことですか」
 上目遣いにパンザーの背中に絡みつくローズを香奈は精一杯の怒りを込めて睨み付ける。
「君のデータを拝見したところ優秀なサイボーグ素体になれることが判明したのでね、君もサイボーグに改造させてもらうことにした。これからは君にも組織のために働いてもらうよ」
香奈が引きつった悲鳴をあげた。その感情の波は声だけでなく全身に広がってゆく。心臓の鼓動が早くなり、呼吸もまた激しくなる。
恐怖。それは死刑宣告を受けたに等しい恐怖であった。
もはや立っていることすらできなかった。痙攣するように震え出した足から力が抜け、香奈はそのまま床にへたり込んでしまった。
「そんなに恐れることは無い。君も人間としての肉体を捨てて、新しい機械の身体に生まれ変われば、我々に感謝するようになる。改造手術の痛みや苦しさなど後の快楽に比べれば些細なものだ。なあ、ローズ」
「はい、パンザー博士のおっしゃるとおりですわ、うふふ…」
ローズは猫のように喉を鳴らし鼻先をパンザーに寄せるとそのまま唇を押し付けた。
しばらくお互いの口を貪りあったパンザーが左右の黒服の男たちに目配せすると、彼らは床にしゃがみこんだままの香奈に駆け寄る。
「い、いや、いやあっ、来ないで、助けてええっ!」
亜里沙が動かないただの人形と化した今、香奈に逃れる術は無かった。両腕を掴まれ、強引に立たせられるがとても歩ける状態ではない。
不意に彼女の股間から生暖かい液体が噴き出していた。男たちの冷笑を浴びながら香奈は自分の股間を覗き込んだ。
「やれやれ、若い娘さんがなんともはや恥ずかしい、お漏らしとは…ふはは!」
「博士、笑っては可哀想ですわ。恐らくこれが人間最後の排尿になるのですから」
香奈は涙と鼻水で汚れた顔を正面の二人に向けた。
「最後って…そんな…まさか、今からって…今すぐ?…手術…改造されるの…私が?」
「感謝したまえ。改造手術は君の大切な御夜咲瞳博士が担当する。たっぷりと可愛がってもらい、サイボーグになりたまえ。手術が終わったら、また会おう」
「み、御夜咲先生が私を…改造?…うそ、そんなの嘘よっ!先生がそんなひどいこと、私を改造するなんて、そんなことあるわけない!」
絶叫する香奈は男たちにがっちりと両腕を固定されながら激しく身体をよじって抵抗する。
「離して、いやあっ、人間でいたい、私は人間のままでいたいの!亜里沙、助けて!お願い、亜里沙、私も改造されちゃう!亜里沙ぁっ!サイボーグになるなんて、いやぁぁっ!」
もはや助けを求めるのは彼女にとっては亜里沙しかいなかった。しかし、亜里沙は香奈の必死の呼びかけにもなんら反応を示すことは無かった。
ローズがブーツのヒール音を鳴らしながら香奈に歩み寄ってきた。汗と涙と鼻水で汚れきった顔に彼女はゆっくりと顔を近づけて来る。
アイスブルーの瞳が半狂乱の中でなおも抵抗しようとしている香奈を捉える。
血のように赤い唇が笑った。
「あきらめなさい」
香奈は両目を見開いてその言葉を受け取った。もう口から出る言葉は言葉になってはいない。
「早く手術室に連れてお行き」
「いやっ、いやっ、お願い許して、助けて、お願いぃぃっ!」
ローズから命令された男たちは、嫌がる香奈を引きずってエレベーターの中に連れ込んだ。
地獄からの脱出に失敗し、今その地獄へ連れ戻される。
エレベーターの扉が閉じられる瞬間、香奈の涙でにじんだ視線の先に映っていたのは物言わぬまま立ち尽くすスクラップ同然となった亜里沙の背中であった。

 御夜咲瞳に与えられた専用の手術室はいつも暗かった。しかし照明などなくてもその部屋に入った者はすぐに彼女の姿を見つけることができた。
 彼女が一人でいるときは決まって、部屋の中央に設置された手術台の上で一人嬌声をあげて自慰にふけっているのが常であった。その彼女の機械の身体が青白く発光して暗闇の中に幻想的に浮かび上がっていたからである。
 サイボーグに改造されただけでなく、自らの手で親愛以上の感情を抱いていた宇佐美綾子を己と同じ機械へと改造したことを契機として彼女は変貌した。人間であった時の以前の優しく温厚な表情や雰囲気は姿を消し、その白面の美女の顔には全てを凍りつかせ虜にする妖艶な微笑だけが浮かぶようになっていたのである。もはや彼女の心を支配しているのは美しい少女を自分の思うがままの姿に改造して共に快楽を貪りあいたいという欲望だけであった。
 今、その彼女の前に新しい生贄が差し出されていた。
 固い手術台の上に全裸で寝かされた少女を傍らから見つめる瞳の顔はいつになく愉悦に綻んでいた。天上の手術用ライトに照らし出され、彼女の着る赤いシルクのロングドレスが妖しい光沢を放っている。
「香奈ちゃん…よく来てくれたわね。…嬉しいわ…」
 白いシーツをかけられ、顔だけを露出している香奈はしばしの間、意識を失っていたが、このときは既に覚醒していた。しかし恐ろしいまでに変わり果てた御夜咲瞳の姿を前にして悲鳴どころかまともに言葉すら発することができずにいた。
「私をずっと探してくれていたそうね、でももう安心して、これからはずっと一緒よ…」
 頬を撫でる瞳の手の冷たさに香奈は引きつった声を喉から漏らした。冷たい。その掌には人肌の温もりが無いのだ。
 怯える香奈の表情を覗き込みながら瞳は心外そうに眉をひそめた。
「どうしたの。何をそんなに怯えているの、こうやって再会できたというのに…」
 そう囁きながら唇を近づけてくる瞳の両目が白く瞬いているのを見て、遂に香奈は悲鳴をあげていた。
「違う、違う、あなたは御夜咲先生なんかじゃない!私の知っている御夜咲先生なんかじゃない!」
 瞳の動きが止まった。彼女にとっては予想外の香奈の反応だったのであろう。近づけた顔を固定したまま黙って香奈を凝視し続けている。
「どうしてそんなことを言うの、香奈ちゃん。あなたは以前私に言ったじゃない。私の研究のためなら実験材料になってもいいって」
 香奈は言葉に詰まった。瞳が組織に拉致される直前、研究室で確かに彼女はそう言ったのだ。しかしまさかそれが現実になるとは、そのときは到底思いも寄らぬことであった。
 そしてそのことを知っているということは間違いなく目の前にいるのが御夜咲瞳であることの証明でもあった。
瞳の唇が不気味に笑みを浮かべた。興奮しているのだろうか。ねっとりと唾液に包まれた舌が艶かしい光で彩られた唇をゆっくりと舐めあげる。
「許してください。助けてください。私は先生のこと大好きです。でも、でも、サイボーグなんて、機械になるなんて…人間じゃなくなっちゃうなんて、絶対に嫌です!」
 いつしか香奈が瞳に訴える声には涙が混じり、そして大粒の雫が両目から堰を切ったかのように溢れ出していた。身体は手術台に拘束されているので動かせない。だから香奈は頭を激しく左右に振って拒絶の意思を示すしかなかった。
 顔を上げた瞳は鋭い視線を香奈に注ぎ続ける。
「香奈ちゃん、今のあなたを作ったのは誰?」
 感情のこもっていない、機械の声である。
「答えなさい…誰なの」
「作った…ってどういう意味ですか」
「女の悦びを知らなかった子供に大人の快楽を教えてあげたのは誰?知っているのよ、あなたが後輩の女の子たちに、私があなたにしたことと同じことをして楽しんでいるのを」
「せ、先生っ!それは…」
「何人の処女をあなたは捧げさせたの?…でも最近はもうそんな清純な娘は希少かしら」
 瞳が口に手を当てて笑った。
「あなたのその性癖を開発したのは私。今のあなたは私が作った作品なのよ…だから私はあなたをもっと完璧な作品にする権利があるのよ」
「ひどい…先生、ひどい…うむっ」
 何か反論しかけた香奈の唇を瞳は自分の唇で塞いだ。
激しく舌を吸い上げ、絡み合わせ、歯茎を舐め上げる。息をさせる間も与えず唾液を流し込む。もちろんこの唾液は強力な催淫剤を含んでいる人工体液である。
「むっ、うっ、むふうっ」
 苦しそうに息を鼻から出しながら香奈は瞳のキスに蹂躙される。両手で頭を押さえられているので、彼女にこれから逃れる術は無い。
「おいしい…おいしいわ、香奈ちゃん…もっと、もっとよ。…うっ!」
 突然、瞳が香奈から口を離した。その唇の隙間から黒い液体が滴り落ちる。そのまま彼女は自分の口の中に指を突っ込むと無造作に何かを掴むと床に投げ捨てた。
 小さな火花を発して転がっているのは、なんと瞳の舌であった。
「コレガ…アナタノ、答エナノ…?」
 喉の人工声帯が発する電子音声が香奈の恐怖をなおも増大させた。
 そのとき、瞳の視線が周囲を見回す。それが合図であったかのように、いつからそこにいたのか四人の少女たちがゆっくりと歩み寄ってきたのである。
 全員、亜里沙が来ていた物と同じ黒革のワンピースとロンググローブを着用し、そしてロングブーツを履いている。その姿から彼女たちもまたサイボーグにされた少女たちであることは明らかであった。
 瞳は長い黒髪を首の後ろで結んだ手前の少女を手招きした。そして黙って歩み寄ってきた少女の肩に手を回すと妖艶な仕種でその顎を引き寄せる。
「ひっ」
 香奈は思わず顔をそむけた。
 瞳は少女の唇の中に指を差し込むと、少女の舌を引き抜いたのである。いや、取り外したと言う方が正しいかもしれない。そして、彼女はそれを自分の口の中に装着したのだ。
「…ふう、これで普通に喋れるわ。あなたの舌ユニットは後で新しいのを装着してあげるからね」
「…ハ、ハイ…オ役ニタテテ…嬉シイデス…」
 少女は痛みを感じているのだろうか、両目から黒い涙を流していた。さらに口からも同様の液体を零し続けているが、決して逆らう素振りは無い。むしろ瞳の役に立てたことを喜んでいる。
「まさか香奈ちゃんが私の舌を噛み切るなんて…この舌ユニットも安くは無いのよ。困った香奈ちゃん、うふふ」
 四人のサイボーグ少女たちを従えた瞳は香奈が彼女たちを気にしていることを見透かしたかのように目を細めた。
「気になる?この娘たちは私のペットよ。サイボーグ素材の中から私が厳選して改造してあげた娘たちなの。もちろん脳改造も完璧に施してあるから私の命令には絶対服従するわ。でも、心配しないで…香奈ちゃんはこの娘たちよりも、もっといい部品を使ってもっともっと高性能なサイボーグに改造してあげるから、楽しみにしていてね…」
「み、御夜咲先生、もう…やめてください…こんな恐ろしいこと…あの優しかった御夜咲先生はどこへ行ってしまったんですか…もう…いやぁ、うううっ」
 もう瞳を元に戻すことは出来ないのか、身動きの取れない彼女にはあまりにも選択が無さ過ぎた。
「香奈ちゃん…そんなに、サイボーグになるのが嫌なの?どうして?」
「嫌です!絶対に嫌です!」
 瞳の返事は無かった。
 沈黙が暗い手術室に立ち込める。その間、瞳は香奈の目をじっと見据え、香奈もまたそれを受け止めていた。
 そしてやがて不意に瞳がため息をつくようにうなだれた。
 香奈はこのとき瞳の感情に変化が起きたのではないかと思った。サイボーグにされているとはいえその身体を司っているのは瞳本来の生体脳のはずである。あの亜里沙のように人間としての感情が何かをきっかけとして甦ってもおかしくはないではないか。
 わずかであったが希望と言う光が見えたような気がした。
「み、御夜咲先生…」
「ごめんなさい、香奈ちゃん…あなたがそこまで拒絶するなんて…」
「わかってくれたんですか、御夜咲先生!」
 瞳は深く顔を伏せ、片手で両目のあたりを覆う。
「もういい、もういいんです。先生がわかってくれたなら私はそれでいいんです。さあ、早く私を自由にしてください。一緒にここから逃げましょう!」
 香奈の涙は嬉し涙に変わっていた。やはり瞳にはまだ人間の心が残っていたのだ。
 御夜咲瞳は俯いたまま肩を震わせていた。
「…でも、もう遅いのよ」
「え?」
 香奈の顔に浮かんだ笑顔がその瞬間、凍りついた。
「そう、もう遅いのよ。香奈ちゃん」
 顔を上げた瞳は泣いてなどいなかった。笑っていた。それも息が止まってしまうかと思えるほど冷酷な微笑を浮かべていたのだ。
「お、遅いって…どういう意味なんですか…?」
「こういうことなのよ」
 瞳がそう告げると同時に手術台の周囲に立っていた四人のサイボーグ少女たちが香奈にかけられていた白いシーツを取り払った。
 香奈は我が目を疑った。そこには彼女の血の通った肉体はもはやどこにもなかった。
 女性のボディラインの外観を形成する金属骨格とその中に収められた人工臓器らしき機械部品や回路の固まり。両手足は無く、何十本という細かいケーブルやチューブがそこに接続されていた。
 両目を見開いたまま香奈は何度も口を開閉させている。あまりの衝撃に声が出ないのだ。
「香奈ちゃんなら私のために喜んでサイボーグになってくれると思っていたのよ。だから先に生体臓器類は全部摘出してもう処分しちゃったの。見てごらんなさい。これがあなたの人工心臓よ。しっかり動いているでしょう、ほらね。サイボーグ用の人工血液への交換ももうすぐ終わるわ。…だからね、もう遅いの。遅いのよ、香奈ちゃん、うふふふ」
「…そ、そんな、私の、私の身体が…私の身体が…機械に、機械になってる…うそ…うそ…やだ、やだ、いやあぁぁぁっ!」
 やっとの思いで搾り出した言葉はもはや何の意味も持たないものであった。
 香奈の肉体は拘束されていたのではない。既に失われていたのだ。
冷たい機械の身体に作り変えられてしまっていたのだ。それも本人の意思ではなく、御夜咲瞳の歪んだ愛情によって。
 終わることの無い絶叫。そして闇が訪れた。
「…御主人様、マテリアルが意識を失ったようです」
「強制覚醒させますか?」
 サイボーグ少女たちが瞳を青く点滅させながら言った。
 御夜咲瞳は失神した香奈の頭を撫でながら恍惚として答える。
「今回はこのまま手術を進めましょう…。香奈ちゃんがもう一度目を覚ました時の喜ぶ顔が見てみたいの」
「かしこまりました御主人様。では…」
 サイボーグ少女の一人が瞳の背後に回り、彼女のドレスを脱がせる。そして全裸となった瞳の首筋から背中の端子にコードを接続して行った。瞳の身体が淫靡にくねり始める。
「…ああああっ、これよ、この感覚…。気持ちいい…たまらない…」
 瞳の美しい裸身を形作る人工皮膚が銀色の金属装甲に変化して輝き始める。そこに現れた姿は銀色の機械人形、もはや人の姿ではなかった。
「ピピピ…“マテリアル改造オペレーションサイボーグ形式番号MOS−03”。改造プログラムを起動します――。マテリアル“水沢香奈”の改造手術を続行する」
 瞳の銀色に輝くふたつの目が歓喜と絶頂に一際激しく瞬いた。
「ようこそ、香奈ちゃん。すぐに造り変えてあげるわ、永遠の生命と快楽を与えられる機械人間へ――愛しているわよ」

 マテリアル・カンパニー会長室には不似合いな、明るく暖かな陽光が差し込んでいる。
 豪奢な机と革張りの椅子に身を委ねた男――マテリアル・カンパニーを統べる組織の会長がそこにいる。
「会長、少々意外な決定でしたな」
このまだ四十代の若さで会長という地位にある男は口元に運んでいたコーヒーを皿に戻した。黒いサングラスの下の視線が、薄笑いを浮かべてこちらを凝視している白衣の科学者を捉える。
「そう思うか、パンザー」
「はい。それほどあのWSD−2…いや本庄亜里沙がお気に召したのでしょうか」
「あれは優秀な秘書サイボーグだった…少なくとも役には立った。ふっ、私にも情はあるつもりだが?」
 そのとき会長室と隣接する秘書室から黒のキャリアスーツ姿の女性が顔を出した。タイトスカートから伸びる長い足に履いたハイヒールをコツコツと鳴らしながら会長の傍らに歩み寄ってきた彼女は、静かに会長へ一礼する。
「どうした“フィリーア”」
 それは短い黄金の髪を整髪料で固めている、きりりと引き締まった顔立ちをしたヨーロッパ系美女であった。年齢はまだ二十歳前半のようだがそのスーツの描く艶やかな肢体のラインは計算されつくし完成されていると言って間違いない。
「ほう、これは…。新しい秘書ですか」
「ヘルシャフトがこの前のオークションで購入したセクサボーグを大層気に入ったらしくてな。感謝の気持ちとばかりに、このフィリーアを贈ってきた」
「それでは…この娘も。まあ当然ですか」
 フィリーアが横目でライトグリーンの瞳をパンザー博士に向けた。その瞳にはまだ感情の揺らめきが残っている。
「なんでもハーバード大学を主席で卒業した逸材だそうだ。もちろんどういう経緯で確保したのかは知る由もないが。まあ早速、御夜咲瞳に命じて全身の三分の二を機械化改造させた。それでも秘書サイボーグとしては申し分ない。…秘書としてはな」
「ほう、ではまだ人間としての感情が残っているわけですな。会長も因果なお方だ」
 パンザーが自分ではなく御夜咲瞳にフィリーアの改造手術を命じたことに引っかかりを感じたことを会長はこの言葉の裏から見透かしていた。
「ふっ。パンザーにはこれからやってもらうことがある。そう不満そうな顔をするな」
「どのようなことでしょうか」
 会長が苦笑を浮かべるとフィリーアは手に持った資料をパンザーに差し出した。
「某国の国家元首から直々の注文だ。私と同じで、つくづく因果な性癖嗜好を持つ人間は後を絶たないものだな。しかしそれが我々の商売になる」
 資料に目を通しながらパンザーもまた苦笑しながら頷いて答えた。
「確かに。一度にこれだけのセクサボーグを発注するとは…それも“人魚型”とは。随分メルヘンな依頼主ですな」
「まったくだ」
 パンザーの表情が不気味に歪む。これはこの男の歓喜の表情なのだ。
「承知致しました。つきましては極上のマテリアルがまた大量に必要になってきますが…」
「わかっている。フィリーア…」
「Yes,Master…。既に大学女子水泳インターカレッジ優勝校である定満女子大学水泳部員を確保すべく工作員の人選を進めております」
そのとき軽いノックと同時に赤いドレスを着た美女がドアの奥から姿を現した。
「これは御夜咲…いや“サイボーグ・マザー”。今日もまた一段とお美しい…」
「ウフフ…ありがとう、パンザー。あなたが改造してくれたこの身体…最高よ」
血の通わない白い顔が妖しい笑みを浮かべた。
御矢咲瞳はドレスと同じ色の手袋を嵌めた腕を組みながら、艶気を振りまきながら三人のもとに歩み寄る。
「会長、その任務は私におまかせください」
「ほう?」
「私のペットたちにもそろそろ本格的な任務を勤めさせたいと考えておりますの」
 瞳はそう言いつつ肩越しに後ろへ視線を向けた。
 そこにはマテリアル・カンパニーのサイボーグの制服とも言うべきあの黒い光沢を持つワンピースとロンググローブ、そしてブーツを身につけた少女がやや頭を下げた姿勢で直立していた。
 赤と銀の混じったオブジェのような髪の毛に彩られたショートヘアに、金色に輝く鋭い瞳。黒い服の隙間から除く純白の人工皮膚。
それを見たときパンザーだけでなく会長も思わず感嘆の声を漏らしていた。
「これは、美しい…なんと美しいサイボーグだ…すばらしい完成度だ」
「会長にお褒めいただけるとは…光栄の極みでございます」
美少女サイボーグは唇の端を吊り上げるように笑みをこぼすと瞳の傍らに歩み寄る。
「…これがあの水沢香奈か。資料で見たときとはまるで別人だな」
会長の呟きに香奈の金色の瞳が不気味に輝く。
「恐れ入りますが会長…」
「なにかな、お嬢さん?」
「私はもう水沢香奈などという名の人間ではありません。マテリアルカンパニーに忠誠を誓うサイボーグ“WSD−17S”です。今日よりは組織のためいかなる命令にも従います。なんなりとお命じください」
 会長はその言葉を聞いて満足そうに頷くと、御夜咲瞳に確認する。
「この新型サイボーグの完成度はよくわかった。…が、後始末は済んだのかな?」
「はい、もちろん。改造手術が完了して、すぐにこの娘の家族は始末させました」
「させた?…自分の手でか」
「はい、当然ですわ」
 瞳は手の甲を口に当てて笑った。それを聞いていた香奈もまた同じ仕種で笑い出した。
「よろしい。これで君たちは完全に我々の組織の一員だ。そこでだ、WSD−17S」
「はい、会長」
「制裁処置として人間であった頃の記憶を全て消去し、生体脳もその90パーセントを機械化させたWSD−2プロト1を君のサポートサイボーグとしてプレゼントしよう。もはや命令のままに動くただの機械人形にすぎんが、蓄積したデータを活用すれば充分に役立つだろう。もし必要がなくなれば廃棄処分するなり好きにしたまえ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 二人の女サイボーグはお互いがまるで一心同体であるかのように答えた。
 そして機械の身体と心を手に入れた瞳と香奈は至福の表情を浮かべて互いに見つめ合うと、周囲を憚ることもなく唇を重ね合わせていた。

「フィリーア!」
 金髪の秘書サイボーグは主人に腰を貫かれながら名前を呼ばれて悲鳴にも似た調子で答えた。
「パンザー博士の指示に従って今すぐに性器の改造手術を受けろ、私はおまえの未改造の性器では物足りん」
「!?…Yes,Master…」
 下半身を露出させたままのフィリーアを無造作に放り出すと、会長はそのまま背中を向けた。
身体の大部分を機械に改造され、いま女性の象徴でもある生殖器まで奪われることになったフィリーアは少しだけ哀しげにうつむいて、唇をかみ締めていた。どんなに拒否したくても、理不尽な扱いを受けたとしても洗脳プログラムにより命令拒否は絶対に許されないのだ。
「早く行け、パンザーには準備をさせてある。人工性器へ改造手術が完了したらまた具合を試してやる」
 苦渋の表情を浮かべながらフィリーアが退室するのを見届けると、会長は広い部屋に独りになった。
「さて、今度はどんな新しいマテリアルが集められてくるか…あの新型サイボーグ…楽しみだな。なあ……」
 会長が最後に呼びかけるようにつぶやいたのは女性の名前であった。
しかしその声は小さくて誰にも聞き取ることはできなかった。


マテリアル・カンパニー/終


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