『メタル リアリティ』

作 市田ゆたか様



第二話(10)

◆転機◆

(ここはどこかしら)
由香は周囲を見渡した。
そこには一面に灰色の霧が広がっており、形あるものは何も見ることができなかった。
(夢かしら)
頬をつねってみようとしたが、頬もそれをつねる指もないことに思い当たった。
そして何度かまばたきをしようとして、自分が目でものを見ているのではないことに気がついた。
意識がはっきりするにつれ、由香は自分の状態を認識した。
(これは、あたしの身体?)
由香はものを見ることも音を聞くこともできなかったが、自分の身体がどうなっているのかは意識するだけではっきりとわかった。
首に付けられたリングから伸びる針に中枢神経が無理やり接続されていることもわかった。
(さっきの電気でナノマシンが活性化したのね)
ナノマシンは活性化して増殖しつつあったが、抗ナノマシン薬のため由香の身体を侵蝕することができず、行き場所を求めていた。
そして増殖して血液中を循環するナノマシンたちが作るあげるネットワークによって自分の体の状態を知ることができているのだと由香は気がついた。
(薬が切れたらあっという間ね。なんとかならないかしら)
由香はさまざまな条件を含んだ複雑な方程式を計算した。
ナノマシンの増殖を止める方法は計算できなかった。
無数の解のうちほとんどは、限界を超えたナノマシンが崩壊し由香も死亡するというものだった。
(もっと・変数を・増やさないと)
由香は計算能力がどんどん上がっていることに気がついた。
それはまるで崩壊を防ぐためにナノマシンたちが意志を持って協力しているのではないかと思えた。
無限に思える時間が過ぎた。現実にどれだけの時間が経過しているのかはわからなかった。
(計算完了。最適解を発見)
由香は計算が終わると自動的に最適解を実行した。
意識が遠のき、目の前が真っ暗になった。


◆捜索◆

「この男は……」
録画映像を見ながら香港警察の刑事が言った。
「見覚えがあるのですか」
刑事の言葉をチェンが通訳したのを聞いて黒崎が問いかける。
「楊(ヤン)兄弟。香港の裏社会では有名な犯罪の請負人です。
特定の組織に属さず、金のためには何でもするという兄弟ですので、組織の線から追うのは無理でしょう」
黒崎が頭を抱えた。
「警察としては目撃証言から地道に捜査をしていきます。もし犯人から何か接触が会ったら、必ず連絡して下さい」
そう言うと刑事は部屋を出て言った。

「くそ、どうしたらいいんだ」
黒崎が言った。
「待つしかありませんね」
チェンがそれに答えた。
「由香ちゃんの居場所なら多分わかるよ」
「どういうことだ。何故警察に言わなかった。説明するんだ」
赤川を黒崎が問い詰めた。
「どうしようかなぁ。黒崎先輩、俺にいつも怒ってばかりだし。由香ちゃんと二人だけで俺に秘密の話をしてるし」
「お前というやつは……。まあいい、今は所長の安全が優先だ。怒らないから説明してくれ」
「実は由香ちゃんのバッグに発信器を仕込んであるのさ。さっきのカメラと一緒に電脳街で買ったんだけど……」
「何だと」
黒崎は赤川に怒鳴った。
「怒らないっていったのに……」
「怒っているんじゃない。呆れているんだ。お前のやっていることは悪質なストーカーだぞ」

赤川は黒崎を無視して受信機を取りだすとスイッチを入れて様々な方向に向けた。
「精度が悪いなぁ。やっぱりジャンク屋の安物はダメなのか。それとも、高いビルが多すぎるのか……」
しばらく考え込むと赤川は言った。
「このあたりの地図はないかな。あと何ヶ所か高いところから受信チェックしたいんだけど」
「わかりました。ヘリコプターを用意しましょう」
チェンはそう言うとどこかに連絡を取った。
「え、いいの。チェンさん話がわかるね」
「今からホテルの屋上に行きます。ついてきてください」
赤川は壊れたウェストポーチに手早く荷物をつめこんだ。それは壊れた機械のようにしか見えなかった。
「黒崎先輩も行くよね」
「当然だ。お前一人だと何をしでかすかわからんからな」
二人はチェンの後に続いてホテルの非常階段を昇った。


◆逆転◆

由香が目を開けると、目の前のメイファが話しかけた。
「気がついたようね。このくらいで気絶してもらっちゃ困るのよ」
うつろな表情の由香にメイファが言った。
「さあ、このロボットの電子頭脳の秘密を話す気になったかしら」

「……あげるわ」
由香はぼそっと呟いた。
「何ですって。よく聞こえないわよ」
メイファは由香に顔を近づけた。
「そんなに 言うのなら 教えて あげるわ」
由香はそう言うと、身体は全く動かさずに左手だけを振り上げた。
そしてチャイナドレスの襟の上からメイファの首に手をかけ、襟の下に隠れていたリングをがっしりと掴んだ。
「きゃ」
メイファは驚いて叫びをあげた。
両手で由香の手首を引き剥がそうとしたが、どれほど力を加えても由香の左手を動かすことはできなかった。
「く……なんて力なの。でも残念だったわね」
メイファは冷静さを取り戻すとキーボードを操作した。
「これで延髄から下の運動神経は完全にブロックしたわ」
しかし由香の左手から力が抜けることはなく、メイファの首をつかみつづけていた。
「え、どうして。神経ブロックは完璧なはずなのに」
メイファははじめてうろたえた。
「秘密を 知りたいって 言ったわね。これが その 秘密よ」
それまで無表情だった由香がニヤリと笑った。

「試作機 42号を 製作します。LISA データ収集」
「ハイ、由香サマ。でーた収集ヲ行イマス」
頭部だけになったLISAが答えた。

「どうして動けるのよ。試作機ってどういうこと」
メイファは身体を踏んばって暴れたが、由香の手から逃れることはできなかった。
「そんなに 一度に 質問されても 答えられ ないわ。今 脳の ほとんどは 別の 処理を してるから」
由香は一言づつ区切りながら、ゆっくりと話しはじめた。

「まず 最初の 質問だけど あたしは 普通の 人間じゃないの。 いま 左手を 動かしているのは 本来の 神経とは 別の回路なの」
「まさか義手。でもそんなはずは」
「うまく 説明 するのは 難しいわね。」
そういって由香はしばらく考え込んだ。
『プログラム完了。ナノマシン放出開始』
由香は突然棒読みのような口調で言った。
メイファには見えなかったが、首を掴んでいる。由香の左手から銀色の粉がじわじわと吹きだし、カビのように増殖しはじめた。

しばらくして由香は再び単調に言った。
『放出終了。体内ナノマシン濃度、安全値まで低下。頚部の異物を分解します』
由香はメイファの首をつかんでいた左手を離した。
突然のことに、メイファは数歩後ずさると、バランスを崩して尻餅をついた。
次に由香が左手で自分の首のリングを握ると、金属製のリングは錆び付いたようにボロボロと崩れ落ちた。
由香はゆっくりと椅子から立ち上ると、落ちていた眼鏡を拾ってかけ、左手を見た。
さきほどまで銀色に被われていた左手は元の肌色に戻っており、
立ち上がろうとしているメイファの首筋、チャイナドレスの襟の上には銀色の手形がくっきりと残されていた。

「次の質問だけど、試作機ってどういうことかだったわね。脳も開放されたし、答えてあげるわ。
試作機というのは、あなたのことよ。いま実行フェーズに入ったから、そろそろわかるわ」

「何を言っているの。全然意味がわからないわ。…う…何なの、この感覚。服が、身体を締めつけてくる」
銀色の手形から放射状にチャイナドレスの材質が変化していた。
かがり縫いのラインに沿って銀色の糸が刺繍のように伸び、高級な絹の柔らかい光沢は次第に金属的な光沢へと変化して行った。
メイファはふらふらと立ち上がり、チャイナを脱ごうと服の合わせ目に手をかけた。
しかし、重ね合わされた布地の間は無数の銀色の糸で縫いとめられており、それを開くことはできなかった。
襟元は、首の金属リングと密着しており、そのリングも本来の材質から微妙に変化しているようであった。

「何をしたのよ」
怯えるメイファの問いかけに、由香は冷淡に答えた。
「あたしの体はナノマシンに侵されているの、いまのであなたもそうなったわ」
「ナノ……マシン?」
「そうよ。これがあなたが知りたがっていたLISAの秘密。LISAはナノマシンによってロボットになったあたしの先輩なのよ。
元が人間の脳だから柔軟な判断も出来るのは当然だわ」
「そしてあたしには免疫があるけど、あなたにはそれがない。これがどういうことかわかる?」
「免疫……、まさか私もLISAのようなロボットに……。そんなの嫌だわ。お願い、助けて……」
メイファはチャイナの上から身体をかきむしりながら言った。
「まさか、そんなの冗談じゃないわ」
「あなたには先輩のようになる資格はないわ。先輩をこんな姿にしたあなたを先輩のような高性能なロボットになんか絶対にしてあげない。
あなたには次の仕事のための、そして先輩を人間に戻すためのデータを取るための実験台になってもらうわ」

「いや、いやよ……、助けて……」
メイファは由香のほうにふらふらとよろめき、由香が身をかわすと壁の工作機械にもたれるように倒れ込んだ。
「そうそう、言い忘れたけど、金属には触れないほうがいいわよ。それだけ機械化が早まるから……ふふっ、もう遅かったわね」
工作機械はチャイナドレスにふれた部分から粘土のように柔らかくなった。
メイファはゆっくりと背中から沈みこみ、貼り付けにされるような位置で停まった。

両手を踏んばって、必死に抜けようとしたが、再び硬くなった金属の固まりから離れることはできなかった。
それまで金属的な光沢の布地だったチャイナドレスは、原型を残しつつも完全な金属へと変質して行った。
チャイナドレスが完全に変化しおわると、メイファの背中は工作機械の残骸から離れることができた。
「どうやら金属材料はもう充分のようね」
由香が言った。
大量に金属を吸収した重さに耐えることができず、メイファは足を投げ出して座り込んでしまった。

「鳴!」
メイファは広東語で悲鳴を上げると、金属の鎧と化したチャイナを必死に掻きむしった。
つるつるとした表面の布の合わせ目だった場所に引っかかりをみつけると、隙間に指を入れて必死でそれを広げた。

チャイナの胸の部分はカチャリと小さな音を立てて拍子抜けするほどあっさりと開いた。
しかしメイファはそれを脱ぐことはできなかった。
服の合わせ目と反対側には蝶つがいが出来ており、乳房の膨らみごと形を保ったままメイファの胸は扉のように開いた。
開いた胸の中には心臓が脈打ち、呼吸に合わせて肺がふくらんでいた。
その心臓や肺にも銀色の繊維がびっしりと絡みつき、幾何学的な模様を形作っていた。

メイファは驚愕におののきながら、胸蓋をつかんだ。そして乳房の裏側に触れた瞬間、異様な快感に身体を痙攣させた。
「ああっ、如何っ、いやーっ」
日本語と広東語のまざった喘ぎ声をあげるメイファを見て由香は言った。
「興味深い現象だわね。先輩のときもこうだったのかしら」
「イイエ、由香サマ。私ノ場合ニハ、コノヨウナコトハアリマセンデシタ」
「比較のためにしっかり記録しておいてね」
「ハイ、由香サマ」
首だけのLISAが単調な返事を返した。



第二話(10)/終



戻る