『メタル リアリティ』

作 市田ゆたか様



第二話(6)

◆宿泊◆

地下駐車場に降りた由香たち一行は、再びチェンの運転する車に乗って宿泊場所のホテルへと向かった。
「トラブルって何ですか」
由香が聞いた。
「警備会社から会場の侵入センサーが誤作動したという連絡が……あ、心配しないで下さい。
何も盗まれていませんし、由香さんのロボットも無事です。
大事ではないと思うのですが念のため確認する必要がありますから」
「それならいいんだけど……」
「何かあれば、すぐ連絡します。黒崎さんの携帯でよろしいですね」
「ああ、それでいい」
黒崎が答えた。
やがて一行は市街のホテルにたどり着き、3人は車を降りた。
「それでは、明朝8時に迎えに上がります」
チェンはそういうと車で走り去った。

「うわー、豪華なホテルだなあ。俺、こんなとこに泊るの初めてだよ」
「すこし落ち着け。観光できてるんじゃないんだぞ。日本の恥をさらすんじゃない」
はしゃぐ赤川を黒崎が制した。
「本当に立派なホテルね。でも混雑して時間がかかりそう」
夕方の最も混雑する時間帯なのか、ホテルのロビーは観光客がかなり多くチェックインには時間がかかりそうであったが、
黒崎は混雑には目もくれず赤いじゅうたんの敷かれたカウンターに向かった。
「チェックインをお願いしたい」
黒崎は英語で言った。
「ご予約のお名前を教えていただけますか」
「黒崎正太郎だ」
「シノサカ様とクロサキ様でエグゼクティブ・スイートを2部屋ですね。ご案内いたします」
「俺の名前がなかったけど……」
黒崎のカウンターでのやり取りを聞いて赤川が言った。
「お前がここに泊まれると思っているのか、お前は別の宿だ」
「そんなのないっすよ、黒崎先輩」
「……冗談だ。こういうホテルは部屋単位で宿泊の予約をするから何人泊まろうと料金は変わらない」
「じゃあ、由香ちゃんと同じ部屋なんだ」
「何を馬鹿なことを言っているんだ。俺とお前が同じ部屋で、所長は隣の部屋だ。
何なら本当に別のホテルに行くか?」
「わかったよ」
赤川はふてくされて言った。

支配人に案内され、3人はエレベーターに乗った。
由香たちの部屋は特別フロアにあり、階数ボタンの代わりに鍵穴にルームキーを差し込むと、
エレベーターがそのフロアに停まる仕組みになっていた。
由香は自分の部屋に荷物を置くと、黒崎と赤川の部屋を訪ねた。

ノックをするとすぐに赤川が扉を開けて言った。
「ねえ由香ちゃん、今から屋台に食べに行かない?香港に来たらやっぱり屋台に行かなくちゃ。
俺のおすすめのところに案内するよ。あとは夜景見物とかもいいし、」
「遠慮しておくわ。お腹はすいてないし、それに明日の資料を準備しておかないと」
「そっか、残念だな。じゃあ俺一人で行ってくるよ」
そういうと赤川はリュックサックを背負って部屋を出て言った。

◆検討◆

「所長、とりあえず呑みながら話をしませんか。お酒は大丈夫ですよね」
「あ、はい」
黒崎は部屋のミニバーからウイスキーを出して、グラスに注いだ。
由香はメガネを外してケースにしまうと、黒崎の差し出したグラスに口をつけた。
「黒崎さん、さっきの龍さんの話だけど、どう思います?」
「そうですね。今のところは疑う理由も信じる理由もありません。
ただ専務が汚職をしているという話が本当だとしたら、まずいことになりますね」
「じゃあ今から専務に電話をして……」
「『汚職をしていますか』とでも聞くのですか。所長、もうすこし考えて下さい」
「でもどうしたらいいかわからないし」
「それでは、この件は私に任せていただけますか」
「わかったわ」
「この件は他人には絶対秘密ですよ。特に赤川のようなお調子者には全てが決まってからでないと絶対に話しては駄目です。
この話はここまでということで、明日のスケジュールを確認しましょう」
黒崎はそういって杯を空けると、2杯目を注いだ。
「まだ呑めますか」
「大丈夫よ」
由香も合わせてグラスを空けた。
「それではどうぞ」
由香のグラスにも2杯目が注がれた。

「それで、明日の予定ですが、基本的には朝10時のオープンからブースでの展示を行うことになっています。
そして午後は中ホールでのデモンストレーションに出展。我々は4番目で2時から20分間です。
夕方からは懇親会の予定になっています」
「大丈夫、ちゃんと頭に入っているわ」
「特に重要なのが、午後のデモです。この内容は成功すれば間違いなく最高の評価をとれるでしょうが、
かなりリスクがあるように思えます。本当に問題はないですか」
「ええ、いちおう先ぱ……LISAにはちゃんと言ってあるんだけど」
「言ってある?」
「あ、えーと、その、指示をプログラムしてあるってことで」
「そうですか。ならば所長を信じましょう。しかし所長はLISAのことを秘密にしすぎです。
もしものことがあった時のために私にも扱えるようにしてください。
赤川にまで言うことはないですから」
「でも専務から誰にも言うなと……」
「専務が何をしてくれました。ましてや汚職で逮捕されるかもしれないんですよ。
下手をしたら巻き添えになるかもしれないと言うのに、いまさら何を言っているんです」
「ごめんなさい。明日の晩まで考えさせて」
「わかりました。明日まで待ちましょう。あなたがLISAの秘密を教えていただけないのなら、私も勝手にやらせてもらいますからね」

由香と黒崎はその後もウイスキーを飲みながら打合せを続けた。
黒崎はしだいに酔ってきたようだが、由香は平然と飲みつづけた

「しかし所長は強いですね。もう5杯目なのに全く顔色も変わらない。すこし疲れたので休ませてもらいます」
「それじゃあまた明日」
由香はそう言うと部屋を出て行った。

「ふふ、この会社に見切りをつけるいい機会だ。俺に恩をきせたつもりでいい気になっている専務よりは、
龍の爺さんにつくほうが好きなことができそうだし……。うまくいけば奴等を出し抜いてやれるぞ」
一人になった黒崎は酔いながら独り言をつぶやいている。
「所長は研究さえ出来ればいいようだから、形だけの代表にして専用の研究室を与えておくことにしよう。
うむ、それがいい。まずは、爺さんが執心のLISAの秘密を何としてでも聞き出さないといかんな」
「くそっ、赤川はまだ戻らんのか。全く何を考えているんだ…………」

「かなり時間が経っちゃったわ。急がないと」
部屋に戻った由香はあわててバッグからピルケースを取りだした。
「こんなになっちゃたけど、大丈夫かしら」
左手に目をやると、手首から先が磁器のような無機質の乳白色に被われており、
右手で触れると冷たく堅い感触がした。爪はマニキュアをぬったような鈍い銀色に輝いており、
それはあたかもマネキン人形の手のようであった。
由香は、ピルケースから出した錠剤を飲み込んだ。
「ああっ薬が……、効いてきたわ……」
由香は身体が火照るような感触に恍惚の表情を浮かべた。
しばらくすると、手首の根元からしだいに肌色と柔らかさを取り戻してゆき、小指の爪に銀色を残して元の姿に戻った。
「はぁ、はぁ……。よかった、なんとか間に合ったみたい。飲む間隔を空けると効果がきつくて辛いわ」
由香はぐったりとベッドに倒れ込むと溜め息をついた。
「まだ手の感覚がおかしいわ。また細胞を再生できない部分が増えているみたい。研究所に戻ったら早く精密検査をしないと」

「細胞を再生?」
由香の背後から声がした。
「あ・赤川君。どうしてここに」
由香は赤川の姿を見るとうろたえて、ピルケースを取り落とした。
「俺は今帰ってきたとこなんだけど、ドアが半分空いて何か大変そうだったから……」
「ううん、何でもないのよ。あたしの体質。定期的に薬を飲まないと駄目なのよ」
「どんな体質?何て薬?」
赤川はしつこく聞いた。
「そんなこと関係ないじゃない。明日は早いんだから早く部屋に戻って寝てちょうだい」
「わかったよ。じゃあ明日」
由香に追い出されて赤川は部屋を出た。

「見たことのない錠剤だな。あとでネットで調べてみよう」
そう言った赤川の手には由香が落とした錠剤の一つがあった。



第二話(6)/終



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