『メタル リアリティ』

作 市田ゆたか様



第三話 (4)

◆構築◆

「ほんとうにセキュリティシステムが切ってあるようね。監視カメラも録画はされてないみたいだし」
警備室に入り込んだ美南は壁に並んだモニターパネルを見ながら言った。
「何か役立ちそうなものはないかしら……。あ、これは使えそうね」
デスクの引き出しの中には写真つきのIDカードの束があった。
美南は束を探り、まだ写真の貼られていない一枚のカードを抜き出すと、警備室のコンピューターにセットした。
「カードを有効にして……。権限は無制限……。本当にセキュリティがなっていないわね」
美南は即席のIDカードをスーツの胸ポケットに入れると、警備室を後にした。
残されたカードの束の中に入り口で出会った青年の写真もあることに彼女が気づくことはなかった。

「チェックは全て終わったわ」
作業の手を止めて由香が言った。
「あとはこのタンクにナノマシンをセットして、増殖させれば準備完了ね」
由香はタンクに向かうと厳重なハッチを開けて左手を入れた。
「ねぇ、ナノマシンって?」
愛鈴が聞いた。
「駄目っ、離れて……。危険だから」
由香が叫び、驚いた愛鈴はあとずさった。
「今からしばらく、あたしがいいっていうまで絶対に近づいちゃ駄目よ」
そういうと、由香は真剣な表情でタンクに向き合った。
ひじの部分までタンクの中に入れられた左手で何かを操作しているようだった。
由香の顔が次第に無表情になり、ぶつぶつとつぶやき始めた。
「……変換………切替…………放出………」
「ゆ、由香?」
「社長……」
愛鈴と黒崎が不安そうに声をかけた。
「気を……散らさ……ないで……重要な……ところだから」
由香は無表情のまま、途切れ途切れに声を出した。
「わかりました。待ちましょう」
黒崎が言い、愛鈴も従った。

30分ほどの時間が経過し、やがて由香の顔に表情が戻ってきた。
「……閉鎖……復元………ふうっ、できたわ。原材料の金属と半導体は充分あるわね。あとは電力を供給すれば……。もういいわよ」
そう言うと由香は左手をタンクから抜いて、ハッチを閉めた。
電源が入れられ、ブーンという重低音が響いた。
ハッチの窓から見えるタンクの中が薄明るく光を帯びた。

「何をしていたの」
愛鈴が聞いた。
「そうね……。愛鈴はどこまで聞いているの?」
「お爺様の跡をわたくしが継ぐために必要だからとしか……」
「それじゃあ、あたしたちが何をしようとしているかは?」
「いいえ、まったく」
「それじゃあ話が長くなるわね。ここは寒いし、ろくな椅子もないから、上の応接室に行きましょ」
由香が言った。
「チェックはもういいですか」
チェンが確認する。
「ええ、充分よ」
「では戻りましょう」
チェンがカードをセンサーにかざすと、出口の二重ドアの内扉が開いた。
部屋を出るときには入るときより長時間のエアシャワーによる洗浄が行われた。
「どうして、ここまで厳重なの?」
愛鈴が聞いた。
「それは、プログラムされていない自由なナノマシンを外に出さないためよ。微粒子センサーが検知限界以下にならないと出られないのよ」
「さっきも言っていたけど、ナノマシンって?」
「分子サイズの工作機械よ。花粉症とかを起こす杉の花粉とおなじぐらいの大きさね」
「話には聞いたことがありますわ。基礎理論だけでまだ実用化されていないとか。研究のためには大規模な隔離設備が……あ、これがそうなのね」
「正解よ。さすが工学部ね」
「でもそれとお爺様にどういう関係が」
「去年の夏のことなんだけど……、あドアが開くわよ。続きは上でしましょ」
4人はエレベーターに乗り込んだ。

「おかしいわ。何処にも変なところがないなんて。絶対になにかあるはずなのよ」
美南は一階から三階までの全ての部屋をくまなく調べたが何も見つけられず、入り口のロビーに戻っていた。
「あの人たちはどこに行ったのよ。入り口で会った人もいないし」
文句を言いながら辺りを見回していると、ポーンという軽い音がしてエレベーターの扉が開いた。
美南はあわてて受付の陰に身を隠してエレベーターのほうを覗き見た。
エレベーターから探していた4人が姿を現した。彼らは美南に気付くことなく、
応接室へと入っていった。

応接室のドアが閉まるのを見届けて、美南はエレベーターに乗り込んだ。操作パネルには先ほど調べたときにはなかった地下の表示が現れていた。
「ふーん、そういうことね」
美南は迷わず地下二階を表示しているタッチパネルに触れた。


◆事故◆

「遅かったね」
応接室に入ると、中ではジーンズの上下を中途半端に着こなした一人の青年がくつろいでいた。
だらしなく開いたジャケットの胸元からはセンスの悪いTシャツが覗いていた。
「赤川……君」
「だからゴウって呼んでくれって。ねえ由香ちゃん、そっちの可愛い子はだれ?」
赤川はニヤニヤと笑いながら愛鈴に近づいた。
「俺は赤川剛三。ゴウってよんでくれると嬉しいね。ねぇ君は誰?どうしてここに……あっ」
赤川はバランスを崩して愛鈴のほうに倒れこんだ。とっさに伸ばしたその両手が愛鈴の両乳をつかんだ。
パシンッ!
乾いた音がして愛鈴の平手が赤川の頬を打った。
「痛たた……」
赤川が頬を押さえて倒れた。
「我嫌称! ××××! ×××××…………!」
愛鈴は倒れた赤川を見下ろして、広東語で怒鳴りつけている。
「愛鈴様は『彼は非常に失礼だ』と言っておられます。それ以上は愛鈴様の名誉のため翻訳できません。
日本にいる間は広東語を使うことはずっと押さえておられたのに……」
チェンが言った。
「ごめんね愛鈴。彼は不器用だから……」
「社長。赤川を甘やかさないでください」
黒崎が由香に言った。そして口調を荒らげて赤川に怒鳴った。
「おい、今まで何をしていたんだ。約束の時間はとっくに過ぎているんだぞ」
「驚いたなぁ、初対面でいきなり平手打ちなんて。ちょっと転んだだけじゃない。事故だよ、事故。
でもその可愛い顔でこの性格。俺、気に入ったよ」
頬をさすりながら赤川が言った。
「す……すみません、取り乱して。でも、わたくしは……、この人は生理的に好きになれませんわ」
愛鈴が言った。
「赤川。私の質問に答えるんだ」
「わ、わかったよ。ここに来るまでに色々あって。
まず最初に東京駅で乗ろうとしたこだまと間違えて、ひかりに乗っちゃって静岡から三島まで折り返したんだけど……」
赤川は延々と話を続けた。
「でさぁ、やっとここまでたどり着いたと思ったら……」
「もういい」
黒崎が言った。
「ここからが大事なのに」
「いいと言ったらいいんだ。おとなしく黙っていろ」
黒崎は次第に不機嫌さを増していった。
「はいはい。黒崎先輩」
「『はい』は一回でいい。それから、お前は新入社員だ。私のことは部長と呼べ」



第三話 (4)/終


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