『双子のパーソネイター』

作 シンゲツサイ 様


フィーナ編 1


 ごく一部の人間しか知らないが、人体の加工技術は革命的に進歩している。
 義手義足の効率化や軽量化、脳への視覚投影を実験段階で成功させたくらいで喜んでいる『表』の研究者がこの事実にふれれば、正気ではいられないだろう。それほどまでに、僕たちの技術は類を見ないものだ。
 いや、僕たちなどと言っては語弊がある。その技術はすべて兄、フェリューによってもたらされたものだから。

「どうかしたかギュー、疲れたのなら休んでも構わんぞ」

 今、心配そうに話しかけてきたのが僕の兄、フェリューだ。
 なんてことはない、僕は考え事をしていただけなのだが、疲れているように見えてしまったらしい。

「何でもないよ、兄さん」
「そうか、何かあれば言うんだぞ」

 僕とフェリュー兄さんは十も年の離れた兄弟だ。兄は鎖のついた眼鏡をかけ、長身で整った顔立ちをしているが、オールバック気味の白髪のせいで実年齢より老けて見えることを気にしている。ちなみに三十歳、見た目はよい方だが、女性の話は聞いたことがない。
 兄さんは何かと世話を焼いてくれる。僕にはそれがありがたくもあり、恐ろしくもある。
 何も、僕が兄さんに弱みを握られている訳ではない。兄さんは、本当に恐ろしい人なんだ。そのうちに、判ると思う。

 人の目から隠れるように、兄の診療所は北の人里離れた場所にある。街から来るまでに数時間の小さな集落、いわゆる過疎地域ってやつだ。
 そんな場所だが、数少ない医療機関として周辺の老人方はみんなウチにかかってくれている。おかげで、生活に困ることはない。
 僕の仕事はおもに受付と会計。学校を出てすぐにここを手伝い初めてすでに一年。ようやく要領が掴めてきたところだ。
 もっとも、『副業』に関しては、未だ素人同然なんだけど。

「ただいま! あ〜、おにいちゃんだ! ねえねえ、もう仕事おわった?」

 短めの茶色い髪を左右で縛り、防寒具でころころ着ぶくれした小柄な少女が、はしゃぎながら診療所の中に飛び込んできた。受付に駆け寄ると、カウンター越しに僕の袖をつかみ、あけっぴろげな笑みを浮かべる。

「ねえねえ、外行こうよ!」
「フィーナ、お帰り。残念だけど、まだお仕事中なんだ。遊んであげられないよ」

 断られると先ほどまでの明るさは瞬時に消え去り、抗議するために精一杯のふくれっ面を作った。

「ぷ〜、せっかくの雪なのに〜」

 外は昨日の夜中から降り続いた雪で、一面真っ白になっている。去年の冬に嫌と言うほど雪を見た僕にとって、この光景は憂鬱でしかない。
 対してフィーナにとっては、一人でも多くの遊び相手を見つけ、走り回らなければいけない一大イベントのようだ。
 もっとも、そのようなイベントを催すことはかなわない。このあたりには、フィーナと同年代の人間がまるでいないんだ。学校へは車で一時間もかかり、道も悪いため雪が降ればおでかけどころではなくなる。
 そういうことで、身近に遊べる相手が僕しかいないのだけれど、まさか仕事をほっぽり出して雪合戦という訳にはいかない。

「この雪なら早めに閉めると思うから、そのとき遊んであげるよ」
「約束だよ? じゃあ、先に行くね〜」
「あ、待って。体は平気? どこかおかしなところはない?」

 全く予想だにしなかった問いかけだったのだろう。フィーナはあっけにとられた。

「ああその、雪で冷えたりしてないかな?」
「ん? 全然平気だよ?」
「そっか、ならいいや」
「これくらい平気だよ。いってきまーす!」

 言うが早いか、フィーナは持っていたランドセルを投げ捨て、白銀の世界を突き抜けんばかりの勢いで飛び出していった。その元気さが、僕が抱いていた懸念を少し払拭してくれる。

「ふぅ」
「ギュー、今のはフィーナか」

 今の騒ぎを聞きつけたのだろう。診察室の扉を開け、兄さんが控えめに声をかけてきた。

「うん、フィーナだよ。あまりにも普段通りでびっくりしちゃった」
「そうらしいな。私もうれしい限りだ」

 それだけ言うと、兄は診察室に閉じこもってしまった。兄は診察の無い暇な時間は、大抵診察室にこもって『副業』にせいをだしている。
 最後の患者の相手を終え、僕はフィーナとの約束を果たすべく外へ向かった。



「あ、こたつだあ! ひゃっほう!」

 外で冷え切った体を温めようと、フィーナがこたつへと飛び込んだ。この家にはほりごたつがあり、フィーナくらいの体格ならすっぽり中に入ることができる。雪で冷え切った彼女には、さぞ心地よいことだろう。
 しかしこたつの先客は、その様子を怪訝なまなざしで見つめている。

「こらフィーナ、お行儀悪いでしょ。ちゃんと足から入りなさい」
「む〜、だって寒いんだもん。しょうがないじゃん」

 声の主に呼ばれ、ふてくされながらもフィーナが答えた。主は自分の足下から聞こえてくる怪音に怯むことなく、慣れた様子でたしなめる。

「そういうのがダメなの。フィーナはいつまでも子供なんだから」
「へん、どうせこどもですよ〜だ!」

 フィーナがこたつから顔を出すと、同じ顔をした少女が、不機嫌そうに迎え撃った。

「もう、顔だけ出さないでよ」
「きゃー! ドッペルゲンガーだ! 死んじゃう〜」
「なにバカなこと言ってるの。双子じゃない……」

 まったくこの子は……と言いたげに、双子の姉、セラフィータは大きなため息をつく。そして、やりとりと楽しげに眺めている僕に目配せした。どうやら、何も言わない僕にも不満があるらしい。
 その視線を避けるために、僕は言い訳程度にフィーナをたしなめた。

「あ、ああそうだね。フィーナ、お行儀が悪いよ」
「へーん! おねえちゃんと違っておにいちゃんは怖くないよ〜だ!」
「私を怖がってくれるなんて光栄だわ。怖いならお行儀良くしなさい!」
「はーい……うえ〜」

 このあと兄さんが加わり、僕たちのあわただしい食事が始まった。

「こらフィーナ、野菜も食べなさい」
「え〜」

 箸の持ち方などの細かい点を指摘するフィータと、それを何とかしてかわそうとするフィーナの、騒がしい戦いが目の前で繰り広げられている。
 この二人が家に来てから、静かな食卓というものは夢にも望めなくなってしまった。一人で過ごしていた学生時代がとても懐かしくなる。

「野菜を食べないと大きくなれないよ? 頭の中までこどものままだと、フィーナも私も困るんだから」
「でも、おねえちゃんスープしか飲んでないじゃん。お姉ちゃんも大きくなれないよ」
「私は病気だから仕方がないの。フィーナは病気じゃないんだから、大きくなってほしいのよ……」
「う……ごめんなさい」

 病気の話題にふれられると、フィータはいつも悲しそうな顔をする。こうした言い合いのほとんどは、そんなフィータの様子を見かねたフィーナが折れることで決着がつく。
 仲のいい姉妹なのだが、フィータばかりが大人になろうとしているところがあるせいか、うち解けて話をしているところを見たことがない。

「いいの、きつく言ってごめんね」



 時間は夜の八時。眠るにはだいぶ早い時間だが、この双子はこの時間には眠りについてしまう。これは、単なる習慣ではない。僕たちの『副業』をやりやすくするために、そうさせている。

「ギュー、運ぶぞ。手伝え」

 兄に促され、自分では起きることのできない眠りについているフィーナを、診療所の裏へ運んでいく。そこにはガレージがあり、数多くのガラクタが山積みにされている。
 このガレージの下に、僕らの仕事場が隠れているのだ。

 仕事場はいくつかの小さな部屋に分かれていて、それぞれ実験室、研究室、作業室、手術室として使っている。

 こうしてフィーナを連れてくるときは、決まって手術室を使う。

「今日は調整だけで終わるだろうから、昨日に比べれば楽なものだ」

 僕はいつも通りパソコンを立ち上げる。画面にはフィーナの全身像と、内部構造が映し出された。一部を除いて、綺麗な人間のソレである。

「よかった、エアはまだ十分に残っている。うまくいったな」

 エアというのは、兄が見つけた人格を決める「目に見えないなにか」なのだそうだ。これが多ければ人に近く、少なければ機械に近い。

「これでうまくいかなければ、今まで蓄積した技術が何の役にも立たないことになるところだ」

 そのまま検査はすすみ、昨日の手術がうまくいったことを確かめた僕は、ほっとした。
 初めての仕事で勝手が分からないせいもあり、昨日の手術がうまくいったのかどうかとても不安だったから。



「よし、眠りは解けていない。ギュー、脳波計は?」
「乱れてはいるけど、ボーダーを超えてはいないよ。すごい、一回も脳が活動を停止しないなんて……」
「私も驚いているよ、昏睡状態でうまくいったのは初めてだからな」

 ガラス一枚挟んだ部屋で、兄が横たわるフィーナの剥き出しになった脳をさばいている。
 愛用の本型手術キットから取り出されたケーブルがあちこちに繋がれ、ピンセットで電極を丁寧に埋め込んでいる。
 少しずつ、数ヶ月の時間をかけて細胞を変質させた脳は本来の色を失い、石油のような濁った黒い色をしている。
 炭素素材を用いた人工の脳細胞に入れ替えると、このような色になるのだ。埋められた多くの制御機械とは違った、妖しい光沢を放っている。
 それにも気付かず、眠っているような穏やかな顔にめまいがした。

「ようやくここまでこぎつけた、覚醒させよう」
「え、起こすの?」

 僕は途惑った。初耳だったということもあるけれど、意識がある時に手術をすることには抵抗を覚える。

「当然だろう、脳を『止めたまま』思考や記憶処理までできると思ったのか?」
「……」
「私一人でやる。お前はそこで見ていればいい」

 それだけ言うと、兄はフィーナの脳から器具を外していった。大量にのびていたケーブルが、大型辞書サイズのボックスに綺麗に収まっていく。
 そしてひときわ大きなケーブルを取り出し、先ほど付けた大きなジャックに接続した。

「お前は初めてだったな。よく見ていろ、見物だぞ」

 ぞくっとした。仕事を達成する高揚感と、兄の底抜けにうれしそうな笑みに。

「さあ起きろ、PX07」

 PX07はフィーナに割り当てられた型式番号で、七番目のパーソネイター(P)試作型(X)という意味だ。僕は『ゼロナナ』と呼んでいる。

「ん、あ……あ?」

 フィーナの表情に変化が現れた。ただ暗かった瞳は焦点が定まり、ゆるんだ口元にかすかな動きが見られる。
 寝ぼけているときのフィーナを思い出す。あいつは朝が弱く、病人なのに早起きなフィータにいつも怒られているんだ。

「あれ、ここは?」

 状況が飲み込めないらしく、フィーナはあたりを伺おうとしているようだが、首から下は動かないため、目だけがむなしく左右を行き来している。
 この部屋に、鏡が無くて本当に良かった。もしあれば、黒い脳が剥き出しの自分を見たフィーナの苦しみは、大きく増していただろう。
 所詮消される記憶、せめて苦しまずに済むよう、状況を把握できぬまま終わってほしいものだ。

「……あれ、おにいちゃん?」

 ガラス越しに見つめる僕に気づいたらしく、寝ぼけ眼のまま僕を呼ぶ。
 しかし、僕はそれに答えない。

「PX07、気分はどうかな?」
「あ、フェリューさん。あの、ここは?」
「小さなアトリエだ、早速だけど生まれ変わって頂こう」
「え、なに……あ……やあああああ!」

 フィーナが狂ったように叫び始めた。突然のことに、僕は体を震わせる。それはそうだ、生きたまま意識を、脳をいじられて苦しくない訳がない。
 体の動きを止めていなければ、フィーナは手が付けられないほどに暴れていたことだろう。

「負荷が大きいな。PX07、コマンドを優先、思考処理を落とせ」
「やああああ……ううう、あえええええ!」

 兄が操作をしても、さしたる効果はなかった。まだ、脳が制御を受け入れていないためだろう。
 涙を浮かべながら、フィーナは折れるのではと思うほど強く歯を食いしばっていた。麻酔なしで脳の構造も内容も組み替えられながら、僕には想像すら出来ない苦しさを必死に耐えている。
 僕は身を縮めながら、何倍にも感じられる時の流れが、早く過ぎ去ることを祈っていた。

「くふうううう……いいいいいい、ああああ!」
「もう一度だ、思考処理を落とせ」

 今度は効き目があったようで、フィーナは軽く仰け反り、甲高い叫び声は次第に弱まっていった。

「ぶえうぅぅ……あ……お……にい、ちゃん……」

 フィーナとふたたび目があった。だが、もう目はそらさない。

「おに、ちゃ……たすけて……おニイ、チャ…………」

 僕はフィーナと目を合わせたまま、制御が落ち着くまで、ずっと見つめ合っていた。その作業は一時間にもおよび、その間僕はただ、フィーナの痛みを理解しようとする度に感じる胸の高鳴りに、身を任せていた。



「落ち着いたな。ギュー、脳波計はどうなってる?」

 意識が飛んでいた僕は、兄の呼びかけでようやく我に返った。針は激しく揺れて所々振り切っていたが、脳死のラインを超えてはいないと報告する。
 フィーナは生きたままことを終えた……生きたまま脳に手を入れられて、神経を入れ替えられ、人では無くなっていったということだ。
 兄が立ち上がり、僕に入ってくるよう促した。先ほどのデータを報告すると、兄はうれしそうにフィーナの黒い脳を撫でた。

「よし、うまくいったか! PX07、偉いぞ」
「ア……アウ……ウ…………」

 制御数十パーセントと表示されている画面への注意もそこそこに、僕はフィーナを見るのに必死だった。息がつまって、胸が苦しいのに、不思議と心地よい感覚に浸りたかったからだ。そんな心を見透かしたように、兄は言った。

「この爽快感、たまらないだろう!?」

 今まで見たこともないほど底抜けに明るい笑顔だが、僕には悪魔の笑み、獣の咆吼のように思えた。



「おめでとう、君への処置は成功した」

 目の虚ろなゼロナナに、兄が本当にうれしそうに話しかけている。

「しかし返事がないと言うのも面白くないな。子供であろうと、挨拶もしないというのは許されない」

 コンソールを取り出し、兄が何かを打ち込む。

「ア、アア……アリガ、トウ」
「よく言えたね」

 機械に対して、兄はとても優しい。しかし、僕にはそれが怖くて仕方がない。

「これで脳は一段落だ。次は体を変えていくわけだが構わないかな?」

 先ほどと同じように、兄はコンソールをたたく。

「ハ、イ。オネガイ……シマス」
「さすがに未調整では声に高揚がないな。まあいい、次の手術を楽しみにしていたまえ」

 本当に、本当に満足そうに微笑み、兄はゼロナナの小さな唇に、キスをした。



 昨日のことを思い出し、僕は思わず身震いする。あのあと、ゼロナナの記憶は調整され、あの手術に関連するものはすべて消した。
 こんなことがあったとも知らず、普段と変わらずに過ごすゼロナナを見ていた僕は、鼓動が高鳴って仕方がなかった。
 その様子をみて、すべて理解したのだろう。兄は昼頃、僕にこうささやいていた。

「実験が終了したら、PX07をお前にやろう」

 貴重な試作機であるゼロナナ……フィーナを自分のものにできるなんて考えもしなかった。その後「何をすれば楽しめるか」ばかり考えてしまい、仕事が手につかなくなったほどだ。
 それを悟られないように振る舞うことに関して、僕はよくやったと思う。
 調整を終えたゼロナナが兄に連れられ、僕の前に立ったときなんか、その無機質さに心臓が飛び出てしまうのではと疑ったほどだ。

「これを渡しておく」

 兄はこっそり、僕の手に何かを滑り込ませた。
 手渡されたのはケーブルと、兄が持っているものと同じコンソールだった。

「感情の制御くらいならコンソールで十分行える。記憶まで操作したければ、そのケーブルでいつものコンピューターと繋げばいい」

 黙って受け取った僕は「後かたづけはやるから」と兄を先に帰して、しばらくの間、壁に立てかけられたゼロナナを見つめていた。いつか、これが僕のものになる。
 そっと、ゼロナナの胸に耳を当てる。今はまだ鼓動が聞こえるが、そのうちこの音は消えるのだ。そう思うと、ゼロナナを抱きしめずにはいられない。
 その体は柔らかく、小さなぬくもりを抱いていた。

「暖かいね……もうすぐ冷たくなるんだよ?」

 目を見開いたままのゼロナナをやさしく撫でながら僕は言う。

 感情が制御できると兄は言った。僕はほんの少し細工を施し、ゼロナナを抱え家に戻ることにした。


フィーナ編 1 終




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