『双子のパーソネイター』
作 シンゲツサイ 様
フィーナ編 3
後悔先に立たず、とはよく言ったものだと思う。
やってしまったことを後から後悔しても取り返しがつかないってことなわけだけど、今のボクはまさにこの一言がぴったりだ。
兄がいた頃は、フィーナの操作を覚えることばかりに気を取られて、内部構造やメンテナンスなんかの管理技術を学ぶことを、僕はなおざりにしていた。
それが重要だとは知っていた。でも兄がいなくなるなんて考えなかったから、二の次でいいと思ったんだ。
それを今頃になって、後悔してる。
「オニイ……ガガガ」
再生中のラジカセを床に落としたような音と、鉄とプラスチックを焼いたような鼻につく臭いがする。
近頃のゼロナナの異常は、モニターを見る必要がないほど分かりやすい。
「ちくしょう、これでもダメなのか!」
作業台に置いたままになっていたガン・シリング(拳銃型注射器)を手に取り、すでに空になっていたカートリッジをむしり取った。
こんなことなら、事前にクスリを補充しておけばよかった。そう思ってももう遅い。
薬品棚に張り付き、目当てのカートリッジを探しだす。赤いラベルに長い警告文と『DANGER』という文字の書かれた瓶だ。
「これでダメなら!」
さっとシリングに突っ込み、奇怪な音を発しながらけいれんしているゼロナナ……フィーナに掴みかかる。
何も纏わぬまま、ジュラルミンの上でもがく少女に背筋が寒くなるけど、そんなことで狼狽している場合じゃない。
頭を掴み上げ、後頭部あたりの髪を思い切り引っぱり上げた。
こうすると外皮がスライドし、インジェットポート(注入口)が露出する。
そこへガン・シリングの先端を押し込むと、カチッという音がした。
「ピガッ、ピガガッ」
「フィーナ、ごめんよ!」
目をつぶり、ボクはシリングのトリガーをめいっぱい引き込んだ。
ガシュッ
「ガヴウ! …………」
有機素材を用いたコンピューターを初期状態に戻せるが、人の脳には一切の配慮がない薬品。初期化液なんて呼んでいる。
どんな電気的エラーも、もやもやも、思いも、ともすれば記憶すら、ホテルのシーツのように真っ白にしてしまうキレた薬だ。こいつに睨まれればどんな麻薬も裸足で逃げ出す。
本来はバイオコンピューターのエラーを強制的に鎮めるものらしいが、パーソネイターが手に負えなくなったときのために、兄が用意していたものだ。
人格が消えるかどうかは五分と五分、可能な限り使用を避けるように。と注意書きを添えて。
こんなものを使って、心は保たれるのか? そもそもこんな調子じゃ、ゼロナナ本体も長く保たないんじゃないのか?
……ボクは『フィーナとゼロナナ』両方が欲しかったのに、どちらも手に入れられないのか?
「くそお!」
自暴自棄ぎみにシリングを床に投げ捨て、ほこりをかぶったイスに腰掛けた。
すこし休むことにしよう。
目の前の人形は脇に寄せ、作業台に突っ伏して目を閉じる。
あの後、兄は帰ってこなかった。
近所の人にも探してもらったが、車すら見つけることはできなかった。
それでも兄の身の上を考えれば、不自然なこととは思わない。SF並の技術を持ち、何年も行方をくらまし、最近だってこんな田舎に隠れるように住んでいたんだから「私は命を狙われている」なんて言われても納得してしまう。
以来数週間、ボクはこの調子でフィーナの整備を続けている。
しばらくのあいだはよかったんだ。大したメンテナンスをしなくても動作は安定していたから。
だけど日に日に動きが鈍くなって、とうとう人格の起動までエラーで失敗するようになった。誤作動を起こし、暴れたり、腕や足がもげてしまうことまである。
そんなフィーナを直そうとして毎日奮闘する僕は疲れている。こんなに冷たく、硬い机の上でもお構いなしに眠れるほどに。
それでも、同じ体制でいるのは辛いものだ。
頬が痛くなったので顔の向きを変えると、フィーナにはまっているガラス玉が、こちらを向いているのに気がついた。
電源が落ちているせいで虚ろに、僕の顔を写している。
なんだか非難されてるような気がした。
「ここんとこ毎日なんだから、少しくらい休ませてよ」
目を背けて、腕を埋めるようにして顔を隠す。
心配事はたくさんあるけど、眠いのばっかりはどうしようもないからと、自分に言い訳して眠ることにした。
○◆○
再起動、開始。
ローレベルコントロールシステム、起動。
ジェネレーティングパワー…………安定。
メインプロセッサ&ランダムアクセスメモリ……OK
アシストシステム……OK
ハードメモリー……OK
オートメーションシステム起動・・・・・・・エミュレーション開始。
……
視覚野オープン。エミュレータ起動……
バチン!
PX07起動。ん、んあ……
あれ、あたしなにしてたんだろ……履歴参照、最終起動ログ58時間24分17秒前、から寝てたんだ。寝過ぎたら……スリープモード維持ニヨル起動障害ハアリマセン、なんだから気にしなくってもいいのかな。
『よっと……? よいしょ、んっしょ……??』
起きあがろうとしたけど、なにかが引っかかって立てない。
不思議に思って、何度も体を引っ張ってみピピーーーッ、デバイスノ接触不良ヲ確認。原因ヲ除去シテクダサイ。
『ピッ、保護ヲ優先シ、原因ノ除去ヲ開始シマス』
不良デバイスハ腹部電源供給パイプ、確認シ……ます。おなかのケーブルをあたしの腕が引っかけてて、ジェネレーターから外れそうになっていた。
手をどけなきゃ……
『……え?』
あたしのおなかがなくなってた。いや、そうじゃな……外装ガハガサレテイマス。機構損傷ノ恐レアリ、外装ヲ装備シハッチヲ閉メ……る?
『えっと、これ……』
自分のおなかの中を覗いて、手を入れて、奥にある機械に触ってみる。冷たくて、固ガピイッ!
「ん、なんだ……フィーナ!」
『ヴヴヴヴヴ……』
異変に気付いたギューは絶縁性の高い作業手袋を付け、ショートしているPX07の腕と内部配線を引きはがした。
『ビビ……ピッ、深刻ナエラーカラ回復シマシタ』
機能回復を見届け、ギューはほっと胸をなで下ろす。
「ふ〜びっくりした。気付いたら腹に手を突っ込んでるんだもん。どうしたんだろ……」
ギューはPX07の頭部と繋がれたパソコンの画面を切り替え、行動ログを呼び出した。
PX07内で処理された情報が口答ではなく、ディスプレイ上に文字で表示される。
【エミュレーター起動後、スタンドアロンプログラムの制御を受け、マニピュレーター(手の代わりをする装置)を腹部へと移動。その後、ログ消失しました】
ギューはスタンドアロンプログラム、すなわちフィーナの意思が働き、自分の体を触ろうとしたのだと理解した。
「ふう、悪いタイミングで起動しちゃったな。どれ……」
コンソールを操作し、ギューは再びフィーナの意思を起動できないものかと試みる。
『ピピッピッ、エミュレーター再起動・・・・・・・・起動シマ……した』
気がつくと、目の前にマスターがいた。よく見るためにファインダーを調整する……ファインダーってなんだろう?
よく見えるようになったマス……おにいちゃんはうれしそうな顔をしてる。
「よかった、また起動してうれしいよ」
『おにーちゃん……あたし、どうしたの?』
「ん? ああ、ちょっとショートしてたみたいだね。これからは調整中に体を動かしちゃだめだよ?」
『ハイ、マスター……そうじゃなくて、おなか。なんで痛くないの? それにこれって……』
あたしの疑問にマスターは嫌な顔をしないで、すぐに答えてくれた。
「それは、フィーナはパーソネイターだからだよ。外装が外れたり、体が機械で出来てるのは当たり前のことなんだ」
『ぱーそねーたー……ハイ、ワタシハパーソネイター試作型七号機、PX07デス』
「ふふ、偉いね」
おにいちゃんはまたうれしそうに笑う。でもあたしは、違和感が拭えなかった。
『ぱーそねーたーって、ロボットなの?』
「まあ、近いかな。フィーナ、パーソネイターとは何か答えろ」
『ピッ、パーソネイターハ人間ノ体ヲ素材トシテ用イタ次世代型ロボットデス』
「そういうことだよ」
『ログ参照……あたしは人間、ロボット……なんで? なんでロボットになっちゃったの?』
「なんでって、僕と兄さんで改造したからだよ。こっそりやったからフィーナは知らないけど」
……
『な、んで?』
「理由? そんなの特にないよ。強いて言えば兄さんがやってたことだし、僕も興味があったから、かな」
……いやだ。いやだいやだいやだイヤダイヤダイヤダイヤダイヤダ!
「ん? 何か言った?」
『イヤダアアアアアア!』
フィーナであるPX07は腹部からケーブルを引きちぎり、そのまま台から転げ落ちた。
その拍子に大量の電気が機械化された脳に流れ込み、PX07の思考を混乱させる。
ガギギギ……シ、指示ガ、ログ……イヤ、ダ。ニゲ、る……ジッ、コウ。
『めmeメイレイヲ、ジッコウシマス』
PX07は立ち上がると、部屋の外へと走り出した。立ち上がり動くたびに、ネジや、金属片をまき散らしながら、ギューの手を振り切ってトイレへと駆け込み、扉を閉めた。
「お、おいフィーナ! 待て! 命令を聞くんだ!」
『メ、ジッコ……タイキ、モード……』
狂ったフィーナに、ギューはドア越しに呼びかける。
「何故逃げたんだ!? なんだっていうんだ!」
『ロ、グ……ショウ、シツ。フメイ……デス』
「そんなに動けるコンディションじゃないんだ! 今すぐドアを空けて出てきなさい!」
「メイレ……ジッ……」
しかし、腹部を損傷したPX07に、指示を実行する力は残されていなかった。
かろうじて答えるかのように、すり切れた配線がパチパチと音を立てている。
『マ、スタ……』
○◆○
「……?」
床に着けていた手に、何か生ぬるい液体が触れた。
温かく無臭で、薄い緑色かかっている液体……フィーナの冷却液だ。まさか……
「おいフィーナ、返事をしろ!」
揺さぶるように戸をたたく。でも、中からは何の返事もない。
フィーナが壊れてしまったのか?
「でえええい!」
ドアノブめがけ、渾身の蹴りをたたき込む。安いベニヤ板で作られた戸は容易く破れ、火花を散らせるフィーナの姿が隙間から見えた。
中には、捨てられた人形のように横たわるフィーナ。腹部のアラート・ランプが点滅している。
すぐに処置室へ運ぼうとフィーナを持ち上げると、接合部の油圧機から油が漏れ、ゴトン、と鈍い音がした。
根本から外れてしまった四肢が、トイレの床の上に落ちている。
「イジョ、ハッセ……マス、ター……マ、スタ……」
ボクは処置室へ走った。
○
その後のフィーナは、一向に回復する気配はなかった。
再び薬品を注入し、負荷軽減のために必要以外の部品をすべて取り払った。でも、無駄だった。
だが、電源を落とすわけにはいかない。
これはボクの解釈だが、エアというのはコンピューターから見れば電気的エラーなのだと思う。
だから兄は人間としての機能も機械としての機能も止めなかったし、極力覚醒状態でおくことを好んだのだろう。意思制御をなるべく避けたのも、きっとそのためだ。
それをボクは、脳を除く人間側の機能をすべてストップしてしまった。だから、脳以外の機械に引き継がれていたエア――電気的エラーが、すべて消失してしまったことになる。
もう、フィーナは機械でしかないかもしれない。それでも、ボクはあきらめきれなかった。
――人間のフィーナと機械のフィーナ、その両方が欲しい。
これ以上、フィーナの機能を停止させてはいけない。
脳への電気を供給する機械の監視と、次々と不具合を訴える部品の迅速な交換。何日間も飲まず食わずで作業に当たり、フィーナの意識が回復するのを待った。
そして、一週間の後。
全身は痛み、意識はもうろうとし、目はしばたき、手は震えている。
買い置きのドリンク剤は底をつき、薬品棚に並べてあった精力剤で、かろうじて作業を続けているような状況だ。
体力はとうに限界を超えている。
「ギガガガガ」
ゼロナナは口を開くどころか、一切の動きがなくなっている。かろうじて液体を循環させるポンプと、サブハードメモリーのシーク音が聞こえるてくるだけだ。
安定はしている。
だが、絶望的な状態だった。
このような処置を続けては、感情はおろかコンピューターとしての機能まで損なわれてしまう。
どうしようか。ここまでやったのだから最後まで粘るか、機械を保持するためにも、電源を落としてしまうか。
悩んでいると、気付かぬまに深い眠りに引き込まれていった。
○
(おにいちゃん)
「……」
(おにいちゃん)
「うう……ん、フィーナ? フィーナ!?」
脳を損傷したかのような白い世界のなかに、つぎはぎこそあれ、慣れ親しんだフィーナの姿があった。
周囲の景色はおろか、自分の姿すら認識できない不完全な視界。きっと夢であろう。そうでなければ、ボクの神経は壊死寸前ということになる。
(あたし、おにいちゃんの役に立ちたいの。だからあたし機械になる! おにいちゃんの持ち物になりたいの!)
「まて、どうして……」
(あたし、機械になれて、うれ、し……にい、ちゃ……)
「おいフィーナ、フィーナあ!」
○
「……あ」
すでに幻は消え、作業台に載った頭と胴体だけのフィーナに戻っていた。
さっきのは、ただの夢だろうか?
きっとそうだろう。
自分の都合で現実をねじ曲げ、逃げるためのむなしい目くらましに違いない。
「……ふふ、我ながら都合の良すぎる夢だよね」
フィーナのエア保持機能のスイッチを切り、コンピューターとして利用することにしよう。
あの夢の言葉に従うのではなく、自分の責任として、人間のフィーナを切り捨てる。
最後にやさしくキスをして、動力を伝えていたケーブルを、まとめて引きちぎった。
これでもう、ボクには機械としてのフィーナしか残されていない。
でも機械は機械。それは、人間だったものでも、きっと……
フィーナ編 3 終
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