<紗弥 その3>

 ドアが開き、男が舞と陽子を連れて入ってきた。舞と陽子は同じ白衣を着ている。紗弥は、その陽子の顔を見て背筋に冷たいものを感じた。その無表情な顔は、舞の雰囲気とまったく同じようになっていた。昨日別れたときの快活な陽子にはほど遠い。 「どうしました?」男が、挨拶よりも先に紗弥の顔を見て心配そうな顔をする。紗弥は、自分の思いが顔に出ていたことを覚って首を振った。
「さて、どうしましょうか?あなたも彼女たちと同じようにここで働きますか?」
 男が聞く。紗弥には、もちろんそんな気はなかった。彼女がここに来たのは舞の様子がおかしくなり、美貴と陽子の様子もおかしくなったからであって、彼女たちと同じようにここで働くために来たわけではないのだ。
「あの・・・・」躊躇いがちに紗弥は口を開いた。もちろん気の弱い彼女には面と向かってそのようなことを言うのはかなり勇気のいることだった。が、由希が何かを掴むのを助けるためには、彼女自身がここで時間を稼がねばならないと紗弥は強く思った。しかしそれを彼女から言う必要はなかった。男の方が、先に話しはじめたのだ。
「彼女たちにはデータを取らせて貰ってます。まあ、美貴君は今ちょっと調整中だが、それでも数が増えた分違ったアプローチができるようになって本当に助かっているよ。この分で行けばあと何ヶ月かすればとりあえず製品化に漕ぎつけられるかもしれない」
「製品って、何の製品ですか?」
「あなたも、すぐに彼女たちと同じようになれます。いや、彼女たち以上だ」
「え?」紗弥は戸惑った。まったく意味が理解できない。
「昨日今日と美貴君と陽子君が加わったおかげで一気に作業が進みましたよ。だから君にはさらに進んだシステムを組み込めると思います。まあ、おいおい彼女たちもバージョンアップしていきますが、その前に君で新バージョンのソフトウェアを評価させて貰います。幸いもう一人素材がいるからそれでさらに作業を進められる・・・・・おそらくもう一人の彼女は完全な製品試作に仕上げられるはずです」
「あの、一体・・・・・」紗弥はさっきから男が言っている意味が分からなかった。わからなかったと言うより、彼女の意識が理解するのを拒否していた。細かいことはわからないが、彼女を何かの実験台にしようとしているのだということははっきりとわかる。
「さあ、行きましょう。大丈夫ですよ、苦しいことや痛いことはありませんから。むしろ女性にとっては気持ちよくなるように調整してありますからね」
 立ち上がり、ついてくるように促す男。
「待って下さい、由希が・・・」
「心配しなくても彼女は君の処置が終わってからゆっくりと処置しますからね。どちらにしろ、この敷地内からは出られませんよ」  紗弥はドキリとした。敷地内から出られないということはどういうことなのか・・・
「さ、もう準備はできています。君も彼女たちのようにしてあげますよ」
 男が言う。
「嫌です・・・・・わたし、帰る・・・・」
 とっさに立ち上がりドアの方に向かう紗弥。しかし、舞と陽子が無表情に紗弥の行く手を遮った。
「ちょっと陽子・・・・舞も・・・・」
 鞄を抱えて立ち止まる紗弥。後ろには男が薄笑いを浮かべて立っている。
「マイ、ヨウコ、サンプルをオペ室に連れて行け」
 無言で動きはじめる二人。紗弥の顔に恐怖の表情が浮かぶ。
「何するの!やめてよ二人とも!」
 必死で二人を交互に見る紗弥。しかし、二人の表情には何の変化も見えない。ただ男の言葉に忠実に紗弥を捕まえようとしている。
「ちょっと!陽子たちに何したのよ!」彼女を捕まえようとする二人の動きに抵抗しながら言う紗弥。怒りが込み上げてくる。二人は明らかに「何か」をされ男に操られているのだ。紗弥のイメージ的にそれはいわゆる洗脳か何かに思えた。薬物や催眠術などで人の正常な意識を奪い自由に操る行為・・・最近映画やカルト宗教でも大流行らしい。この男もそれの研究をしているのではないかと紗弥は思った。
「今の彼女たちは、私の命令を最優先するように設定してあります。特に陽子君の方は、命令を遂行するまで私以外の言葉に体が反応しないように組んであるから何を言っても無駄だよ。舞君の方もここ数日でだいぶデータが蓄積されてきたからかなり求める行動の精度が上がってきたし・・・・・」
 二人が紗弥の両腕をしっかりと押さえる。紗弥はイライラしたように「あー」と一声あげるともう一度、彼女にしては最大級に怒りを込めて男に向かって言った。
「答えなさいよ。一体二人に何をしたの?催眠術か何か?それとも何かクスリでも?」
「催眠術?クスリ?」心外そうな顔をする男。その表情は紗弥の怒りをさらに煽ったが、男はそれを気にせずに紗弥の問いに律儀に答えた。
「そんな不確実な物ではありませんよ。二人には保存体、もう少しわかりやすく言えば人形になって貰ったんです。彼女たちはすでに人間ではありません。我々が開発した技術で衰えることのない若さを与えられた人形なのです。もちろん彼女たちの脳には君についての記憶も残っているし、肉体の表面は基本的にいじっていない。だが彼女たちの脳は今では単なる記憶媒体と演算装置にすぎないし、それを制御するシステムを頭部には組み込んであります。彼女たちが人間であったときの行動パターンはそのシステムによって解析されてシミュレートされるから、彼女たちはあたかも人間であるかの如く作動する。仮に誰か彼女の記憶にある人物と会話する場合、システムが脳の中からその人物についてのデータを拾い出して自律データと連動して最適な行動を選び出す。まあ、このときに大きな感情の起伏を伴う記憶データがあったり矛盾した思考の記憶データがあると一番エラーが起こりやすいわけだが細かい思考パターンと大まかな思考パターンを分けるようなプログラムにしたら今のところはうまくいっている・・・・・これもデータが蓄積されることによって制御装置自体が学習するからね」
「制御って・・・・」今度は紗弥の顔が引きつっていた。男が「人間ではない」と言った瞬間、彼女の胸に鋭い痛みのようなものが走った。それが悲しみなのか怒りなのか、それとも恐怖なのかは彼女自身にもわからなかったが、事は彼女が思っているような事ではないのは確かだった。そして、それが良い方にではなく悪い方に入り込んでいることも。
 二人に引きずられながら廊下を移動する紗弥に、男は続けて言った。
「体の動作自体は人口骨格が駆動して動かすから人間の細かい筋肉のシステムは必要なかったんだが・・・・・これがまた曲者でね。言うならば彼女たちは骨格だけのロボットに元の肉体を着ぐるみのように着せた上で機械と生体のハイブリッド制御システムを頭部に配置して動かしているようになっている。ところが結局逆にこのシステムは筋肉を動かすようになっていないから表情とか細やかな動きがどうしても今の段階ではできない。顔に機械を組み込むとなると傷が付きやすいしね。それはこれからの課題だ」
 男がドアを開ける。彼女はその部屋の奥へ連れて行かれた。そして、そこで彼女はそれを発見した。部屋の端に寄せられ、目を見開いたまま直立不動の姿勢で立っている裸の女。
「美貴!?」
 それはまさしく美貴の姿だった。彼女の耳の後ろからはケーブルが伸び、横の端末に繋がれている。また、股の後ろ側からはさらに太いケーブルが端末ではなく何かのソケットに繋がっていた。見開かれた目の焦点は、どこか遠くを見つめたまままったく動かない。
「美貴に何をしたの!!」半ばわめくように男に向かって言う紗弥。
「うーむ、彼女の生体脳がなかなか制御ユニットにシンクロしてくれなくてね・・・・少し生体脳のデータが破損してしまったんだ。今、一応リストア作業をしているがたぶん・・・・最終的には全部機械化してしまわないといけなくなる可能性が高いな。だが生体脳を使えないとなると仕草や口調が本当に機械的になってしまうからな・・・・」
 男はまるでただの機械の故障のような言い方をする。どうやらなにか失敗したらしい。
 そうしているうちに彼女は舞たちによって部屋の奥の、ホールのようになっているところへ連れて行かれた。そして、そこにある金属製らしい台のところで、男は新たな指示を二人に出した。
「処置をはじめる前に、データ収集をします。さっきも言いましたが女性にとってはとても気持ちがいいはずです。で、そこに服を脱いで横になって欲しいんですが」
「イヤよ!」当然のように拒否する紗弥。
「そうでしょうね。さて、マイ、ヨウコ、サンプルの衣服を脱がせて。いいか、服を破損させないようにうまく脱がせるんだ」
 男は事も無げに二人に指示する。その時だった。紗弥は一瞬チャンスを見つけた。二人が紗弥の服を脱がせるべく肩から腕を放した隙に、紗弥は行動を起こした。今入ってきたドアに向かって駆け出す紗弥。しかし、何かが脚にぶつかり、転びこそしなかったが彼女は痛みに脚を抱えた。見ると、台車のハンドルのような物が突き出している。
「これこれ、あまり困らさないでくれたまえ。体に傷でも付いたらどうするつもりなんだ」
 男の声とともに、二人が再び迫ってくる。脚を引きずったまま必死に逃げようとする紗弥。しかし、ドアの手前で舞の腕が紗弥の肩を掴んだ。彼女のチャンスは失われた。
「い・・・イヤ!」首を振って拒否する紗弥。
「仕方ないな・・・・・眠らせておくほど時間がないし」
 考え込む男。男は完全に紗弥の意志など無いが如く扱っている。紗弥には、男の一言一言が空恐ろしく感じられた。
「催眠導入器を使おう」男が言う。紗弥の顔が蒼白になった。なにやらわからないが男がついに紗弥を人形にする第一段階をはじめるのだと思った。
「マイ、ヨウコ、サンプルを連れて着いてきて」
 部屋のさらに奥に向かう男。紗弥は部屋に来たときと同じように、舞たちに引きずられるように部屋の奥にあるもう一つのエレベーターに乗せられた。


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