<由希 その4>
男の持っていたIDカードでは二階のドアは一つも開かなかった。幸いなことにIDカードの男どころか他の人間にも一人も出くわさなかったが、そのまま一階に降りた由希は、恐るべき事実に直面していた。
一階の部屋も一つも開かなかった。そして、来るときに入ってきたエントランスのドアが、開かないのである。もっともエントランスのドアはIDカードではなく他の認証方法があるようだったが、入るのはともかく出ることができないなど、彼女は考えもしなかった。
仕方なく地下に降りる由希。地下は、倉庫になっているようだった。廊下に角はなく、ただ一本真っ直ぐなだけで両方の突き当たりにドアがあった。さらにその間にもいくつかドアがある。
(何があるんだろう・・・・)
由希はとりあえず、一番エレベーターから近いドアを開けて部屋の中に入った。部屋の中は真っ暗だ。壁を探りスイッチらしい物に触れると、部屋の中が薄明るくなった。部屋はだいぶ広いようだったが、そこには何もなかった。部屋から出ようとしたその時、ドアが開く音がして廊下を歩く足音が聞こえてきた。由希は、息を殺してドアの陰に潜み、ドアが開かないように祈った。廊下から、足音に混じってさっきの男たちらしい声が近づいてくる。
「引き渡しは?」
「なにやら一週間後に御仁の船が港に入るから、その時に船上でということらしい」
「なに?じゃあ一週間も置いとくのか。なら急ぐこともなかったな」
「でもまあ、捕獲込みだからな。仕方ないって言えば仕方ないが」
「あの女、どういう女だ?」
「国際線のスチュワーデスだ。可哀想に、たまたま御仁が乗ったファーストクラスの担当だったらしい」
「ほう、あの御仁でも民間旅客機に乗るのかい」
「自家用機がメンテだったんだと。それで民間機のスチュワーデスに興味もたれたんじゃ、航空会社は迷惑だろうな」
「違いない。で、捕獲は?」
「手間取った。何せ本当に忙しいんだからな。オーダー入って、身元照会して実際の捕獲計画に入ったら半月ぐらい国内にいない。でもって帰ってきたと思ったら自宅と職場の往復だけ。自宅は車で十分のセキュリティーが売りのマンションときてる。まあ、これで職場が空港じゃなかったらもっと手間取ったよ」
「んじゃあ、空港でやったのか?」
「ああ。彼女が友達か誰かと会った後、タクシー乗り場までの間に」
エレベーターが開くらしい音がした。男たちはまだ何か会話していたが、その声はすぐに途絶えた。
(どうなってるのよ・・・・)
思い起こせば起こすほど恐ろしい話だった。本当かは定かではないが、男たちの話を総合すると、その、香港の御仁とかいう女体コレクターの奴が、スチュワーデスを「オーダー」して「捕獲」させ、あの直方体のゼリーの缶詰のようにして引き渡させているという話になる。現実ならば想像を絶する恐ろしい話だ。失踪者が「缶詰」にされて売られているとは誰も思うまい。そして、彼女も未だにそれを信じることができない。
(でも、それと舞たちと、どういう関係が・・・・)
問題はそれだった。しかしここで「何か」がなされているのは確かだ。舞の様子は明らかにおかしかったし、陽子も、舞ほど見せつけられたわけではないが、やはりさっきの様子はおかしい。おそらく、美貴も同様である可能性は高い。このままでいたら紗弥も、そして彼女自身も同じ「何か」をされる可能性はきわめて高いように思われた。
彼女は恐る恐るドアを開けて誰もいないことを確かめると男たちの足音が聞こえてきた方へ向かった。行く手にあるドアは二つ。突き当たりと、突き当たりの手前にあるドアだった。
少し考えて、手前から開けることにする。鉄製らしいドアを用心深く開けると、さっきの部屋と同じように手探りで壁を探った。ほどなくスイッチの在処に手が届く。さっきの部屋と同じ辺りだ。やはりさっきと同じように部屋が薄明るくなった。部屋の中は同じように広いようだが、さっきの部屋と違って棚かパーテーションのような物でいくつもに仕切られている。
由希は、その一つ一つを順にあらためていった。向こうの部屋と違って、この部屋は仕切の一つ一つに照明がある。そのうちの一つのスイッチを入れたときだった。
(・・・・・・・・!)
突如現れたそれに、彼女は思わず声を上げそうになった。さっきは後ろからでよく見えなかったのだが、それは紛れもなくあの部屋から運び出されたものだった。
(27歳・・・・国際線スチュワーデス・・・)
はじめて彼女は、それをはっきりと人間だと認識した。透明な直方体の中に封印された全裸の女。なぜか恍惚とした表情を浮かべ、目は遠くを見ている。両脚を少し開いて伸ばし、そして両腕も体から少し離れて伸ばされている。まったく自然にリラックスしたような格好のまま、なまめかしい表情で女は物体の中に立っていた。
(装飾品としての女体・・・・)
男の言葉がよみがえる。たしかにそれは、装飾品という体裁の物だった。中の女性は由希が見ても確かに美しい。多少髪が乱れていても、それはそれ、なまめかしい表情によくマッチしている。しかしこれが結局何なのか彼女にはいっこうに解らなかった。誰かの趣味にしては悪趣味すぎる。そしてなにより、その中身はついさっきまで生きていたであろう女性なのだ。その命を奪い飾り物にしてしまうようなことがここでは行われている・・・
(舞たち・・・・)
彼女は、ある映画を思い浮かべていた。人々が密かに偽物と入れ替わり、元からいた人々は誰もいなくなってしまう。そして、最後には自分一人が残される・・・
舞が偽物だとすれば、すべての説明は付くような気がした。外見は確かに舞だったが、その中身はどう考えても彼女が知っている舞ではなかった。クスリか何か打たれているのかもしれないとも思っていたが、目の前の物を見ると、それでは済まないような気がした。
(だとすれば・・・・・陽子と美貴・・・・)
彼女は慌てて他の仕切を見て回る。しかし、その仕切以外には何も発見する事ができなかった。
(別の部屋・・・・)
もう構ってはいられなかった。部屋から出てすぐ横の突き当たりの部屋に入る。そこで再び彼女は立ち止まった。
(これは・・・?)
そこは、まるで監獄のような空間だった。部屋の中に五つの小部屋があり、それぞれ部屋の中央から中が見えるようになっている。小部屋にはそれぞれシャワーと便器、そしてベッドが置かれている。監獄と違うのは、その部屋が鉄格子でなく、強化プラスチックがガラスのような透明な壁で部屋の中央部と隔てられていたことだ。
その小部屋のどこにも、人影はなかった。ベッドなども綺麗で最近使われていた形跡がない。
(なんなのかしら・・・・・)
彼女は部屋を後にした。まだエレベーターの反対側が残っている。彼女は片っ端からこのフロアをあたるつもりだった。振り返りもせずに反対側の突き当たりの手前にあるドアを開ける。
(寒・・・・・)
ドアを開けた瞬間、ドアの隙間から冷気が吹き出す。その冷気は由希に鳥肌を立たせた。彼女は例の如く壁に手をやる。程なく照明が点灯し、部屋の中をぼんやりと浮かび上がらせた。
(なんだろう・・・・)
部屋の天井が低い。そして、部屋の中には所狭しと円筒形の柱が並んでいた。透き通ったその柱は、ガラスか何かでできており中は空洞のようだった。
(ここにも・・・・)
彼女はそれを一つ一つ見回した。そのうちいくつかに中身があるのも発見していた。中身はどれも裸のまま立っている若い女だ。が、彼女の知っている顔は一人もいなかった。
由希はすぐに覚った。彼女たちは冷凍されているのだ。缶詰にしたり冷凍にしたり、ここではとんでもないことが平然と行われている。どれもテレビや映画の中の話のようだが、ここまで目の当たりにした彼女はもうどんなことでも驚かない気がした。由希はどうやらこれが自分の手に負えない事態であるのを覚り始めていた。一刻も早くここを出て、警察にでも来て貰わなければならない。彼女は部屋を出た。
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