<由希&紗弥 その2>

 五時きっかりに、由希と紗弥は駅の改札口を通過した。
「あれぇ、来てないじゃん!」紗弥が言う。A駅の改札は人の乗り降りがあまり多くない。と、その由希の視界に舞の姿が入ってきた。
「お待たせしました」舞は、例のごとく無表情に抑揚のない声で言った。
「あれ、陽子は?」怪訝な顔で聞く由希。彼女は陽子と約束をしたのであって舞と約束したわけではないのにと思っていた。
 一瞬の沈黙。由希は昨日から感じていた。何か質問すると必ずこの間がある。それは舞のりアクションとしては考えづらい。美貴や紗弥はともかく、陽子と舞はどちらかというと余計なことまで言うタイプで口数が多いと由希は感じていた。何か聞いても彼女たちの場合はだいたい即答にはならなくても「え」とか「ああ」とか「ん」だとかというリアクションが見られるはずである。
「彼女は急に仕事を離れられなくなって、わたしが来たの」ゆっくりとした口調ではっきりと答える舞。表情に変化はない。
「いいわ。じゃあ帰る」由希が言う。
「ちょっと由希」慌てて止める紗弥。
「だって、陽子から何も聞いてないもの。陽子と待ち合わせしたのに代わりに舞を寄越すなんていくら陽子でもひどいわ」拗ねてみせる由希。
「ねえ舞」由希は同意を求めるように舞に振った。
「陽子、どんな顔で舞に行ってって言った?」
 由希の質問に、舞は沈黙した。表情を変えずにまるで停止しているように見える。
 舞の様子がおかしいのは、紗弥の目にも明らかだった。
「ねえ舞、どうしたの?」
 沈黙する舞の顔を心配そうにのぞき込む紗弥。と、唐突に舞が言った。
「どんな顔をしていたかは覚えていないわ。わたしはその時、顔を見ていなかった」
 今度は紗弥と由希が沈黙した。紗弥が呆気にとられている。
「舞、変だよ」口を開いたのは由希だった。
「ねえ舞、一体どうなっちゃったの?なんだか舞じゃないみたい」
 やはり即答しない舞にむかって由希は畳みかけた。舞が答える前にまくし立てる。
「ねえ、一体研究所で何をしているの?それとも何かあったの?陽子と美貴はどうなったの?ねえ舞、教えてよ」
 由希は舞の両肩を揺すりながら聞いた。しかしやはり舞は表情一つ変えない。そしてしばらくの沈黙の後答えた。
「わたしはどうもしないわ。わたしの名前は相原舞。研究所でしているのは研究の手伝い。何も起こってはいない。陽子と美貴は今調整中」
 相変わらずゆっくりと、しっかりとした口調で一つ一つの質問に律儀に答える舞。しかし由希と紗弥はその答えに唖然としていた。そして、由希が最後の質問の答えを理解できずに聞き返した。
「陽子と、美貴がどうしたって?」
「陽子と美貴は調整中」ワンテンポ遅れて舞が答える。由希はそれにめげずに舞を問いつめる。
「調整中ってどういう事よ」
 少し長い沈黙の後、舞は答えた。
「調整の内容については答えられないわ」
「いい加減にしてよ。一体どういうつもりなの?」由希は本気で怒りだした。いくらなんでも舞の態度はふざけているようにしか思えなかった。が、やはり舞は反応しない。しばらくして、舞が答える。
「研究所に来れば、すべてわかるわ」
 抑揚のない答えに、由希はしばらく舞を睨む。
「わかったわ。どうしてもわたしたちに来て欲しい訳ね」
「そうよ」由希に向かって答える舞。
「いいわ、行ってあげる。紗弥はどうする?」
「い、行くわよ」慌てて答える紗弥。三人は研究所に向かって歩き始めた。


 三人は住宅地を抜けて、高い塀で囲まれた建物にやってきた。駅からここまでの間、由希と舞はお互いに一言も言葉を交わさなかった。紗弥もそんな二人を心配そうに見守りながら、やはり口を聞かなかった。
 三人は、何もかかれていない門をくぐると敷地内に入った。敷地は意外と広く、庭には芝生や緑が多い。そしてその中央に、四階建てぐらいの白い壁の建物がある。敷地の中には人影がない。
 建物に入り、無造作にエレベーターのボタンを押す舞。
「ちょっと、どこへ行くの?」由希が質問する。
「四階」
 エレベーターのドアが開く。三人はエレベーターに乗り込んだ。沈黙したまま表示が変わっていく。やがて、表示が4に変わり、ドアが開いた。舞を先頭に降りる三人。
「誰もいないのかしら」つぶやく紗弥。由希は、それを聞いて辺りを見回す。
「そういえばそうね」病院のようなタイル張りの廊下。白い壁。廊下を照らす蛍光灯の数は多く、明るい。が、どの部屋からもあまり音が聞こえず、彼女たちの足音だけが響いているように聞こえた。
 その壁にあるドアの一つを開ける舞。
「ここでしばらく待っていて」相変わらず抑揚のないゆっくりとした口調で言う。そこは、応接室のようだった。ソファに腰掛けるように促して、舞が出ていく。
「ねえ」由希が口を開いた。
「なに?」応える紗弥。
「やっぱり舞、変だよね」
「何をいまさら・・・・」紗弥が言う。思わず笑ってしまう由希。
「っていうかさ、ぎこちないっていうかさ・・・・」
「そう。あの喋り方もだし、なんか、なんて言うの、挙動不審だよね」
「紗弥も思った?」
「うん。なんていうかな、その、妙にスムーズっていうか、癖がないっていうか」
「そう、それだ。癖がない。そうだよ、一つ一つの体のこなしがすごく必要十分な感じで無駄がないのよね」
 頷きあう二人。
「ねえ、紗弥?」
「なに?」
「ちょっと探検してきていい?」
「え、一人で?」
「そう。だって二人ともいなくなったら困るでしょ。まあ、じきに陽子たちに会えるはずだし」
「でもさ・・・・」
「お願い!もしかしたら舞がどうしてあんなになっちゃったのかわかるかもしれないし」
 少し間があった。
「いいよ」紗弥は少しふくれたがそう応えた。
「んじゃ」早速立ち上がる由希。
「舞たちにはトイレに行って迷ってるんじゃないとか言っておいて」
「わかった」
 由希は、紗弥を置いて部屋を出た。


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