『ハッピーエンド』その1

作シンゲツサイ 様



 どこへ行くにも、母は少女に似せたロボットを連れていた。時に抱きながら、時に歩かせながら……電池が切れてもなお、引きずりながらどこへでも連れ歩いた。
「充電……そうだね、充電すれば元にもどるよね。さあ、帰りましょう、私のかわいいひなちゃん……」
 そう呟きながら。
「あれ、晴彦さんの奥さんよ……何を引きずっているのかしら」
 見知らぬ女性は母を指さした。隣にいた年配の女性が、その疑問に答える。
「人形よ……前に旦那と娘さんを事故で亡くしてね。それで気が違っちゃって、あの人形を亡くなった娘だと思いこんじゃったみたいなのよ。そうそう、あの人にはもう一人娘がいてね……」
 ひなちゃんと呼ばれた人形は地面を引きずられ、衣服はぼろぼろにちぎれ、体の隙間からは人工皮膚がすり切れてプラグがむき出しになている。隙間からこぼれる血の潤滑油が、歩いた後に血のようなシミを残していた。
 変わってしまった母を、私は遠巻きに眺めていた。
 周囲からは、母は狂っていると思われたに違いない。
 父も妹ももういない……ずるいよ二人とも。あんなお母さんを私にだけ押しつけて、先に死んじゃうなんて。

 夕刻。昼間ぼろ布のようだったロボットは給仕服に着替え、私たちの食事の準備をしていた。
 この人形は本来、歩き、話し、働く、とても精巧なロボットだ。父の遺産がなかったら、とても私たちには手の届かない代物。
「あらひなちゃん、いいこね〜。今日は何を作ってくれたの?」
『豚肉トぐりーんあすぱらノそてート、みねすとろーねデゴザイマス』
 テーブルの上に、二人分の食事が並べられていく。フォークやナイフを置くロボット。それがふっと、横目に私を覗く。
 私を見つめる、青い目。ロボットは作業の手を止め、目の奥にある小さな赤い瞳で、じっと私を見つめる。
 苦しかった。心を見透かすような、まっすぐな瞳が私を苦しめる。さっと目をそらすと、夕食のセッティングを済ませ、ロボットは母の膝の上に座った。
「ひなちゃん、よくできました。さ、ママと一緒にお食事しましょうね」
『ハイ、オ母サマ』
 こうして、彼女たち二人だけの食事が始まった。
「まあおいしい! どこで覚えたのひな?」
『こんぴゅーたー通信デ、オ母サマニ喜ンデ頂クタメノれしぴヲ検索、調理シマシタ』
 食事の時、母はロボットと楽しそうに話をする。私はいつもかやの外。そっちの方がいい、本当なら別室で食べたいくらいだ。
「ん〜、なんていいこなんでしょう! ひなちゃん、なにか欲しいものある?」
『股関節ノべありんぐガ摩耗シテイマス。コノママデハ、約十時間ノ稼働デ歩行不能ニナルト思ワレマス』
 私はあることに、いつも我慢している。
「そう、じゃあ新しいのと交換しないとね。明日にでも発注するわ」
 自分で我慢強い方だと思う。
『アリガトウゴザイマス、オ母サマ。オ母サマノオカゲデ、私ハ【健康】デアルコトガデキマス』
 しかし、今日は押さえきれなかった。立ち上がり、両の拳を、思い切りテーブルに叩きつけた。テーブルは倒れ、ロボットが必死に用意したディナーが床を汚す。
「な、なにをするのよ!」
 母はとまどいながらも、やや強気な目で私を見据えた。対して、私の目は荒れ狂う吹雪のように冷ややかで攻撃的だ。
「ママ、なんでそんな人形を買ったの?」
「買ったなんて人聞きの悪い、それにこの子は氷奈雫(ひなた)よ、ロボットじゃないわ」
「そんな言い訳、もう聞きたくないの」私は倒れたテーブルの縁で体を支え、身を乗り出した「なんでそのロボットを氷奈雫と呼ぶの? それは氷奈雫じゃない!
 いったん溢れた怒りが更に煮えかえる。このまま蒸発して私が消えてなくなってしまいそうだ。
「これは氷奈雫よ」
 母は私の怒りを感じ取ることはせず、明らかに機嫌を損ねていた。が、すでに私の怒りは行き場を求めて爆発寸前だ。
「違うわ、ただの機械よ。氷奈雫は死んだのよ!」
「死んだなんて言わないで!」
 私の言葉に今にも泣き出してしまいそうだ。私はそんな母が嫌い、だから――
「何度でも言うわ、それは氷奈雫に似せた鉄の塊よ」
「湖香夏(こかげ)は間違えているのよ! この子は氷奈雫だわ、母親の私が見間違うなんてあり得ない!」
「いいえ見間違いよ、氷奈雫は機械なんかじゃなかった。コードを繋ぐプラグなんかなかった。電気もオイルも、必要じゃなかった。たった半年よ? そんなことも忘れてしまったの!?」
「それは……手術の跡よ、何がおかしいのよ」
「どうして電源が必要なの?」
「これは……ペースメーカーの電源よ。氷奈雫は心臓が良くないの」
「週に一度、業者が点検に来るのは? 体の一部を取り外せるのはなんで?」
「あ、あれは……あの人達は医者なのよ、べつに……切開手術をしたって、おかしなことはないでしょ?」
「なぜ、体に機械しか入っていないの? どうしてプログラムで物事を考えるの? どうして、氷奈雫の戸籍が亡くなっているの!?」
 このときの溜めに用意しておいた住民票を、私はこれ見よがしに見せつけた。
 これをきっかけに母は態度を一変し、身勝手に平静を激情に差し替えた。
「この子は、この子はホントにかわいくない! いつもいつもいつもいつも!」
 こうなるとママは手が付けられない。イスをひっくり返し、皿を放り投げ、不可解な叫びを上げながら部屋で暴れ狂う。 それが一段落すると、人形を連れて部屋へと引きこもってしまった。あのまま、翌日の夜まで部屋から出てこないだろう。いつものことだ、もう慣れた。
 こうして言い合うのも、何度目だろう。母は言うことを聞いてくれない。生きている私でなくて、死んだ妹の声ばかり聞こえているみたい。
 なんで私がこんなこと繰り返さなきゃいけないのかしら。こんな屋敷、さっさと出て行ってしまえればいいのに。
 だが私は、学歴というものに縛られてそれをできないでいる。大丈夫、もう就職も内定したんだ、あと一月の辛抱だ、と。
 そう思いながら仕方なく後かたづけをしていると、それに続いてあのロボットが片づけをしているのに気がついた。
 どうしたことだろう。
 あれに執着している母が、こうして置いていったのは初めてだ。私の言葉がよほどショックだったのだろうか。
 割れた食器を片づけながら、私はテーブルクロスを洗濯かごに詰め込むロボットをまじまじと観察した。今まで見ようとも思わなかったから、こうして観察するのは初めてだ。
 少しだけだが、母が固執するのも解らないではない。
 このロボットは生前の氷奈雫にとても似ていた。あのいたずら好きで、意地悪で、そのくせ寂しがり屋なあの子に……
 私の視線に気づいたのか、ロボットはレンズ越しに私の顔を見ているようだった。なるほど精巧な機械だ。こうして一緒に片づけをしていると、氷奈雫が生きていると本当に信じたくなってくる。
 私は片づけを止め、彼女に近づいた。
「そういえば、話したことはなかったわね。初めましてって言うのは変だけど、私は湖香夏。よろしくね」
『……オネエ、サマ』
「あら、私を姉と呼ぶの? あいにくだけど、私はあなたの姉ではないのよ」
『オネエ、サマ』
「……あなたを責めてもしかたないわね。考えてみれば、ママに使われてるのも、私を姉と呼ぶのも、あなたの意志のせいじゃないものね」
 そう思うと、この人形も少しはかわいく見えてきた。私はほんの少し笑みを浮かべ、頭をなでてやる。
「あんたに意思があれば、あんな女のところから逃げ出したいだろうね」
『ウレ、シイ……』
「え?」
『行動カラ、オ姉サマハ氷奈雫ヲ、嫌ッテイルト分析シテイマシタ』
「……え、どういう意味?」
『オ姉サマトハ身分ノ違ウ氷奈雫ヲ、思ッテクダサルノデスネ』
「え、え?」
『モシ、マダ妹ダト思ッテクダサルのデシタラ、ドウカ、私ヲ氷奈雫ト呼ンデクダサイ』
「ひな、た?」
 私は誘われるがまま、妹の名前で呼びかけた。すると人形は答えず、不自由そうに体を動かし私の胸に抱きついた。
 これはどういうことなんだろう、ママが私になつくようなプログラムでも組んでいたのだろうか?
 いや、ママはこんなことするはずないわ、だって人のために何かしたこと何てないもの。元々入ってたプログラムかしら、じゃあなんで私をお姉ちゃんなんて……
 ……氷奈雫の記憶を持っているの?
 確かめたいと思った。しかし、話を終える前にママが部屋から出てきてしまった。私に抱きつく人形の姿を見てママは叫びを上げた。
「湖香夏! 私の氷奈雫に何するの! 返して、今すぐ返しなさい!」
 そのまま人形を抱きかかえ、また部屋へと戻ってしまった。
 母と会話した後に来る特有の吐き気を押さえつつ、私は先ほどのことを思いめぐらした。
 標準の思考回路に年上の女性を『お姉さま』と呼ぶようプログラムすることはあるだろう。しかし『嬉しい』などと言わせたりするだろうか。まして、自分を妹と呼んで欲しいと言うなんて。
 偶然に口走ったと言うことはあり得ない。人間にへりくだって接するロボットなら『ありがとうございます』や『感謝します』とでも返答するのが妥当なはずだ。
 私は真相を確かめるために、もう一度彼女と話してみることにした。そのためには、母の目を盗み部屋へ忍び込まねばならない。日中はいつでも持ち歩いているからだ。
 あの人形に聞けば、真相を確かめられるかもしれない。昔の漫画のように、ロボットは嘘をつけない、という原則が生きていれば、だが。
 そこへ忍び込むことに困難はなかった。母は気づいていないが、あの部屋のカギは髪留めのクリップを差し込めば簡単に開けることが出来るのだ。元々あの部屋は私と氷奈雫の子供部屋小さい頃、鍵をかけて逃げようとする妹を追いつめるのに何度この手を使ったことか。
 夜は十分に深まった。私はゆっくりと扉を開けて中へ入る。中は真っ暗だった。

 部屋はリビングと寝室からなっている。母は手前のリビングのベッドで眠っていた。ロボットの姿はない。
 私は音を立てないよう慎重に母の隣を横切り、奥の寝室へと入った。
 部屋の変わりようにはやや驚いた。窓がなくなり、代わりに冷房設備や見ただけでは用途の知れない機械が据え付けられている。半分ほどがそんな様子で、ひときわ大きい機械の中に人形は入れられていた。どうやら、電源が入っているらしい。
 コンピューターを扱い、ロボットを起動させる技術を持っていない、私は幸運に胸を躍らせた。
「ねえあなた、私の言葉が分かる?」
『ガガ……オネ、キュイイイイ』
 明らかに夕食の時と様子が違う。喋ろうとしているが、何かに邪魔されているようだ。この大きな機械と共に、何か作業をしているのかも知れない。私があきらめようとしたそのとき、こんどは向こうから話しかけてきた。
『クルシギギギギ、イ……アアア、ハズ、シテ』
「これのこと?」
 このとき私は母に気付かれるリスクも考えず、言われるがままに、人形と機械を繋ぐケーブルを引き抜いた。
 人形はしばらく痙攣していたが、やがて落ち着き、私に向かってお辞儀をした。
『アリガトウゴザイマス、オネエサマ』
「それはどうも。あなたに聞きたいことがあって来たの。私の質問に答えられる?」
『ハイ、オネエ、サマ』
「どうして私に嫌われたなんて言ったの?」
『アタ、シヲ……サケテル、ミタイデシタ』
「そういう意味じゃ……質問を変えるわ。その言葉は、ママからプログラムされたものなの?」
『所持者……ピピ、オカアサマカラ、プログラムサレタモノデハ、アリマセン』
「では、誰にプログラムされたものなの?」
『記憶域ノ基礎【パーソナリティ】トイウ領域ノモノデス。後カラ加エラレタモノデハ、アリマセン』
 パーソナリティ、人格ね……死ぬ前の氷奈雫を似せて作ったものかしら。そうすると、氷奈雫に似せようとして作ったプログラム故の行動と言うことになる。なんて精巧なプログラムなのだろう。だが、私はそれだけでは納得できなかった。
「そのパーソナリティには、他にどんなことが記録されているの?」
『情報ヲ呼ビ出シテイマス……ママニアイタイ、ママニダッコサレタイ、ママト遊園地ニイキタイ、ママノ料理ガオイシカッタ、ママノ……』
「ちょっとまって」私は強引に話しを遮った。「ママのことばかりじゃない。ママ以外のことはないの?」
『【ママ】ニ該当シナイ情報ハぼでぃ完成直後ニプロテクトサレマシタ。検索ヲ終了シマス』
「おかしいじゃない、さっきのことはパーソナリティに記録されていたからだと言ったでしょ? なのに、なんで私のことが出てこないのよ」
『検索……【オネエサマ】ニ関スル情報ハ、破損シテイテ観覧スルコトガデキマセン』
 機械において、過去に消された情報が出てくることがあるのだろうか。いや、それ以前にパーソナリティなんてものを作っておいてわざわざ消したりするのだろうか……技術者が作ったものを母が手前勝手に改ざんしたしたのかもしれない。それなら、消したはずの情報が残っていたのも説明がつく。
 なのに、私の違和感は拭えなかった。何か、何かが違う。
「あなたはどうして氷奈雫にそっくりなの?」
『ワタシハ、氷奈雫デス』
 ああ、それくらい分かったはずなのに……私は頭を押さえた。
「質問が悪かったわ。あなたが人間の氷奈雫に似ているのはなぜ?」
『人間ノ氷奈雫ヲ元ニ作ラレタカラデス』
 それは知っている。しかし、なにかが……
 私はロボットの氷奈雫をじっくりと観察した。そして気付いた、違和感の正体に。
「ここも、ここも、ここも……」
 私は彼女の体のあちこちに手を触れる。
 似すぎているのだ、生前の氷奈雫に。人なつっこい目も、赤みがかった髪も、舌っ足らずな声も、歩くときの仕草まで。仮に氷奈雫の映像が残っていたとしても、雰囲気、質感まで再現することは出来ないだろう。本人から直接写し取ったとしか思えない。まさか、氷奈雫の死体を……
「あなたは、人間の氷奈雫の死体から作られたの?」
『ソレハ、違イマス』
 私は安堵した。亡骸とはいえ、大好きな妹の死体があの女の玩具にされるのは耐えられなかっただろう。
 しかし、安堵はたちまち恐怖、そして強い怒りに変わった。
『ワタシハ、生キタ人間ノ氷奈雫ヲ改造シテ作ラレマシタ』
 その後のことは、よく覚えていない。氷奈雫に泣きついたような気もするし、母を殺そうとしたような気もする。
 でも、上手くはいかなかったらしい。現に母は生きており、私は今、体を縛られて動けない。

               * * * * *

 キルビックはドアを開けるなり、丁寧に頭を下げた。
「お久しぶりです陽子様。その後お変わりございませんか?」
「そうね、生意気な娘をしつけられるから、これでもいい気分よ?」
 陽子は軽くすくめて見せた。
「左様でございますか、何よりです。して、ご息女はどちらに?」
「あそこよ」
 陽子は車のトランクを指さした。
「かしこまりました。ささ、中へお入りください。あとは手前共で支度しますので」
 陽子は白衣に着替え三十分ほど待たされた後、手術室のような部屋へと通された。そこには先ほどの男が、肢体をあらわにした自分の娘を台の上へ貼り付けにしていた。
 娘は陽子を見るなり、相手を咬み殺さんと叫びを上げた。
「あんたが、あんたが氷奈雫を!」
「氷奈雫? 氷奈雫がどうかしたの?」陽子は氷奈雫と呼ぶロボットを抱きかかえていた。「このこがどうかした?」
「どうして氷奈雫をそんな風にしたの!?」
 感情を剥き出しにする娘と違い、陽子は平淡に答えた。「そんな風って、ちょっとしつけをしただけじゃない。何を怒っているの?」
「しつけですって!? 信じられないわ、氷奈雫をなんだと思ってるのよ!」
「娘に決まっているじゃない。今でもこうして、氷奈雫は私のかわいい娘よ」
「バカなこと! あんたはあんた自身の手で、娘を娘でないものに変えたのよ?」
「娘じゃないのは湖香夏の方よ!」陽子はガラスをひっかくような声で叫んだ。「湖香夏だってかわいかったのに、いつの間にか私に反抗するようになって……どれだけママが悲しんだと思っているの!」
 湖香夏は負けないように、ますます声を張り上げた
「変わったんじゃない、成長したのよ! あんたがろくでもない女だって分かるくらいに!」
「違う! 親はいくつになっても親、子供はいくつになっても子供のはずだわ、変わってはいけないの! そう、だから氷奈雫は変わらないようにしてあげたのよ。氷奈雫はかわいい、そのまま止めてしまえば私も氷奈雫も幸せよ。そう、あなたも昔の湖香夏に戻してあげる」
 この言葉を合図に、キルビックは道具を手に取った。湖香夏は必死にもがいたが、拘束台と麻酔のため身動きは取れなかった。
「マウスピースをくわえて頂きます。舌を噛むといけませんから。いきますよ?」
 紳士的な態度に反して、キルビックの動作はかなり強引なものだった。
「ああああああ!」
 延髄にメスが当てられ、湖香夏は叫びを上げた。麻酔のために痛みはないが、肌を裂かれた確かな感覚が本能的な恐怖を与える。
 そのまま神経、脳へと至り、その一部分が切除された。湖香夏の全身を熱さ、寒さ、痛み、心地よさ、疲労感、快楽など、考え得る限りの感覚が襲う。
「あ、く……かはぁ」
 言葉はおえつにしかならず、目が潰れるほどの涙が流れる。
何より、それをもがいたり叫んだりして、外に出すことが出来ないのが苦しい。
 キルビックは小さな機械を取り出し、先ほど切り出した部位の代わりに埋め込んだ。
「準備ができました、まずは第一段階。痛いと思いますが、我慢してくださいね」
 そしてスイッチを入れる。
「あううううう!」
 今度は、世界が逆転したかのような感覚が襲う。平衡感覚を失い、視界が不規則に回転を始めた。
 時間の感覚がなくなり、回りながら過去のことがまるで現在のようにリアルに感じられた。氷奈雫と遊んだ思い出、父親の死、学校での些細な出来事、物心付く前に床の上を這った記憶、目まぐるしく変わる世界には、未来の記憶すらあったように思う。
「第一段階終了です、少し休んでください」
 電源が切られると、感覚は正常に戻った。さっきまでの残酷なまでの刺激が消え、一切の感覚が体から失われる。
 湖香夏は陽子と、陽子に抱きかかえられた氷奈雫を見た。氷奈雫も、この感覚を味わったのだろうか?

『あ、うぐ……おえええ』
 キルビックはドリルで頭蓋骨を取り出し、脳全体を露出させていた。
「続いて第二段階。さっきと同じですから、少しは楽だと思いますよ」
『あアあグゥう!』
 湖香夏の脳を、先ほどと同じ感覚が襲った。あらゆる苦痛で全身の穴という穴から液体が噴き出し、終える頃には床に水たまりができていた。
『第二段階終了。お疲れ様でした。次は体の方に移ります』
 再び、湖香夏に感覚が戻ってくる。今度は人間の思考と機械の言葉――プログラムが全身にからみつき、焼けるほどの痛みと快楽が体中を駆けめぐっている。
 憎しみを支えとしていた湖香夏にも、この苦痛は耐え難かった。逃れようと、必死に母親にすがりつく。
『オ、お母様……いいこにします、何でも言うこと聞きますから、もう許してください……』  
「どうします?」キルビックは陽子の方を向いた。「続けますか?」
 だが、母は非情だ。元々、哀れみなどというものを期待してはいけないのだと、すぐ後になって湖香夏は知る。
「ホホホ、もちろん。どんどん先へ進めなさいな。湖香夏、このまま機械におなりなさい。ママの言うことが聞けますね?」
『イヤ、機械は、イヤ……』
「それでは、第三段階。痛覚はありませんが、別の感覚を感じることがありますから、驚かないでくださいね」
『ふギいいいいい!』
 工程を終えた湖香夏に、人間の面影は稀薄だった。少女の艶めかしさは残っているが、継ぎ目だらけの体が無機物の質感と合わさり工芸品のような印象を与える。
 人間の心からでる目の光りだけが、かろうじて少女がモノではなかったことを教えている。
『マ、マ……ユル、シ……』
 微かな光が、ゼロに近い希望である母の哀れみにすがりつく。
 陽子はにこやかに笑いかけた。
「ああ、うれしいわ。かわいい湖香夏、帰ってきてくれたのね」
「人格の調整はいたしますか?」男は湖香夏の拘束を解きながら話しかけた。
「いや、調整なんていらないわ。既存のメイドロボットのプログラムを上書きしてちょうだい」
「娘さんでしょう? よろしいので?」
「こんな子娘でも何でもないわ。従者として一生こき使ってやるわ」
「左様でございますか。ではしばしお時間を」
『オカア、サマ……』
 陽子は男にさめた視線を送る。
「ところでキルビック、湖香夏は何か喋っているみたいですけど、機械化は完全なんでしょうね?」
「電源を落としてはいませんし、まだ人格の端正はしておりませんから。機械だって、喋ることはありますよ」
『オネガイ、ケサナイデ……』
「早速上書きして頂戴……目障りだわ」
「かしこまりました」
『ヤメテ、オネガアア! ……ァ、ァ……ガガ』
 カリカリ、カリカリカリカリ、ジジジ……


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