<陽子 その3>
いつの間にか眠ってしまったらしい。陽子は自分の身体を見回した。自分が無事なことを確認すると、彼女は顔を上げた。
部屋の中が静かになっていた。ふと部屋の中を見ると、白衣の女が一人立っている。
「美貴・・・・」陽子はすぐにそれが美貴であることに気付いた。白衣を着たまま微動だにせず陽子の方を見つめている。陽子は、その美貴にガラス越しに話しかけた。
「美貴・・・・美貴!、お願い、思い出して!」
美貴の身体が少し震えたような気がした。
「美貴!わかるの?」ふと、陽子の心に希望の光が射す。もしかしたら自分の気持ちが美貴に通じるかもしれない・・・そう思った矢先だった。
「サンプル、タカモトヨウコ、カクセイヲカクニン」
美貴の口から、抑揚のない機械のような声が発せられる。
「美貴!?」
バタン、とドアが開く。黒江が例によって舞を従えて部屋に入ってきた。
「どうやらいまのところ正常に機能しているようだな」男がつぶやく。
「機能、ですって・・・・」
「そう、舞君もいまでこそだいぶよくなってきたけれども・・・自律システムというのは調整が難しくてね。最初に起動した時なんかはいきなりフリーズ起こしたりとか、それを直したら今度は自分の持ち物を見るたびにフリーズしたりしていたよ。それだけじゃない。学習機能もなかなか・・・・生態脳の記憶から反応を探して実行するわけだが該当するものがないととんでもない反応をしたりだ。それも大分よくなったがね。美貴君の場合は始めからその辺を調整したソフトを組み込んであるから・・・・まあ、まだ当分バグ取りが続くだろうけど。あ、安心したまえ。君にも当然バージョンアップした方の制御ソフトを組み込んであげるよ。とりあえずは私の命令に絶対服従するように設定してね」
黒江は得意げに言うと、舞と美貴に何か言った。一瞬後、二人が、陽子の閉じこめられた小さな部屋のドアを開けて入ってくる。二人は虚ろな目のまま陽子に向かってきた。
「美貴?・・・・舞?・・・・」
陽子はそう言いながらも後ずさった。二人の感情のない顔がとても恐ろしく感じられる。
「イヤ・・・・やめて・・・・」
背中が壁に当たる。陽子の怯えた顔に対して美貴と舞の顔からは完全なまでに感情が感じられない。二人は息があった、というより一糸乱れぬ一定の動きで陽子の両腕を掴んだ。
「イヤァァァァ!」ついに陽子は悲鳴を上げた。しかし二人は、大きな声を聞いた驚きのような反応すら見せない。まさに機械そのものといった感じで陽子をホールの方に連れ出し、例の金属製らしい台の方へ連れていく。陽子は必死に抵抗したが二人はビクともしない。
「美貴!やめて!美貴!!」右腕を押さえる美貴に向かって半狂乱で叫ぶ陽子。と、その時だった。不意に、美貴の動きが止まった。
「ん?」黒江が怪訝そうに美貴の方を見る。
美貴は無表情のまま停止していた。
「マイ、サンプルを押さえろ」黒江が慌てて舞に命令する。 陽子は、一瞬美貴に何かあったのだと悟ったが、何をする間もなく舞によって羽交い締めにされてしまった。
陽子の腕が外れた後も美貴は腕を押さえる格好のまま停止している。
「マイ、サンプルをフェーズ1ベッドに固定しろ」
何も反応せず、黒江の言ったとおり陽子を美貴が最初に寝かされていた台の方に引きずっていく舞。その横で、男が慌てて美貴に駆け寄る。美貴に向けたリモコンのスイッチを何度か押すが、美貴は停止したままだ。
「はじめからフリーズか・・・・やはりはじめから生体脳に負荷をかけるのは厳しいか・・・」
言いながら黒江はリモコンのスイッチを押し続ける。美貴が一瞬、ビクっと反応した。と、美貴はそのままバタンと音を立てて崩れ落ちる。床に横たわる美貴の顔は、崩れ落ちる寸前とまったく変わっていなかった。
二、三秒後、かすかにピピ、という音が聞こえ、続いて美貴の口から音が流れ出した。
「キドウシマス・・・・システムチェック・・・・」しばらくの沈黙があった。
「ショリフノウデータ・・・・エラー・・・コード314・・・ホリュウ・・・・リセット・・・OK・・・・ジリツデータ・・・ロードOK・・・・PRM3・・・システムキドウ」
何事もなかったように立ち上がる美貴。その美貴に黒江はリモコンを向ける。美貴が再びビクっと反応した。
「どうもこの反応は美しくないな」つぶやく黒江。
「PRM3、サンプルの下半身をフェーズ1ベッドに固定しろ」
「カ・シ・コ・マ・リ・マ・シ・タ」
陽子は、美貴の反応を見て男が美貴の「強制制御モード」を起動したのだと悟った。美貴は緩急のない素早い動きで舞に押さえられた陽子に近づくと、軽々と陽子の脚を持ち上げて台の上に降ろした。 「PRM2、サンプルの上半身をフェーズ1ベッドに固定しろ」
陽子の抵抗で手間取っていた舞も、一瞬ビクッと震えると素早く陽子の状態を台に寝かせる。
「いや!お願い、やめて!」叫ぶ陽子。しかしさっきの反応に輪をかけて二人の行動は容赦がない。美貴によって台上に脚が伸ばされ、足首が革だかプラスチックだかよくわからないものでできた器具で拘束される。その彼女を押さえつける二人の力は信じられないほど強力だった。そして舞によって上半身を押さえつけらた陽子の腕もまた伸ばされ、腰から少し離れた辺りに手首を固定される。陽子はもう抵抗していなかった。陽子を押さえつける力が彼女の力ではまったくビクともしないことを十分以上に認識させられてしまったのだ。
まるで工場の生産ラインのように彼女は台に固定されていった。陽子は人ごとのようにそれを感じながら、面白いことに気が付いた。舞も美貴も、決して互いの方を手伝おうとはしていない。黒江が命令したこと以外はまったく行わないのだ。美貴は陽子の足腰を、舞は陽子の上半身を固定することに専念?し、互いの方には文字通り目もくれていなかった。
やがて陽子は完全に台に固定されてしまった。いくらか自由度はあるが、体を起こしたりすることはできない。
(今度立ち上がるときはわたしも人形になってるんだ・・・・)彼女はそう思った。彼女の前で無表情に動き回る舞と美貴。次は陽子の番なのだ。自分ももうすぐ二人と同じように自分の意志を失い無表情な機械人形になる・・・・・。
紙のような素材でできていた検査衣が、美貴の手によって脱がされていく。というより剥がされているといった方が良かった。美貴の手には鋏のような器具が握られており、その鋏で検査衣に切り込みを入れていく。美貴の手つきは機械的で安定していたが、陽子はその鋏が動いている辺りの体の部分を思わずそらせる。
やがて、完全に検査衣は切断された。前後に二分された検査衣の前半分が、美貴によってまるで蓋を外すようにはぎ取られる。そして続いて、体の下にある後ろ半分が舞によって引き抜かれた。陽子は羞恥心よりも恐怖心に支配されていた。相変わらず容赦のない美貴の手が、ただ一枚残されたパンツにかかり、それもあっという間に裁断され取り去られた。
完全に一糸纏わぬ姿になった陽子の体のあちこちを、今度は舞が脱脂綿で拭きながら電極を取り付けていく。美貴が彼女の服を脱がしたのと同じように、舞の手つきも容赦がなかった。額からはじまって、耳の後ろや後頭部など、頭部にたくさんの電極が取り付けられた後、それは次第に下に下がっていった。首、肩、腕、肘、手首、指先、胸、腰、脚、膝、足首、足先・・・・敏感なところにもそれは容赦なく取り付けられた。
「これから君のパーソナルデータを収集する。これを見たまえ」
得意げに言う黒江に、陽子はゆっくりと顔を向けた。端末の横の台の上に並べられた物。それはさっき美貴に組み込まれたのと同じ、半透明な部材と黒光りする部材の組み合わせだった。
「収集されたデータに応じてこれを調整する。サイズから動きまで、君の動作をシミュレートするようにそれぞれの部品にデータが自動的に組み込まれる。制御ユニットには、君の行動パターンと思考パターンをシミュレートするプログラムとそれらを統括制御するプログラム、まあ、その中には設定された相手に対する服従プログラム、というか最優先命令実行プログラムも含まれているが、これがまた曲者で・・・・自律データにリンクしているから最初のうちはかなり具体的に指示を出さないといけない。まあ、それらが組み込まれて生まれ変わった君を完全に制御する。心配はいらん。フェーズ1処置が終わった時点で君はもう何も感じなくなるし、考えることすらもしなくなる。このシステムは生体脳そのものをシステムの一部、つまり超高速の演算装置として利用するから今現在の意識があるまま苦しむことはあり得ない・・・・・」
つまり、陽子としての意識が残らないということを黒江は言っているのだと陽子は理解した。それは、美貴と舞もすでに美貴と舞ではないということを意味する。そして、次には陽子の意識も消し去られ、自らを陽子として認識することはなくなるということだ。彼女は陽子の姿をし、陽子の記憶を「データ」として持ち、そして黒江の命令通りに動くロボットに改造されるのだ。
陽子はもう何も言わなかった。無力感だけが彼女に残っていた。そして、一方では早くこの状態から開放されたいと感じていた。
「とりあえず、データ収集に関しては痛みなどは感じないようになっている。逆に快楽中枢やいろいろな神経を刺激するからおそらく君が今までに感じたこともないような心地よさを感じることができるはずだよ。そしてその絶頂を最後に君は何も感じなくなる・・・」
黒江が端末を操作する。電極の取り付けられたところからじんわりと、黒江が言ったとおり心地の良い感覚が拡がっていく。彼女はそれを受け入れた。そうするのが、彼女にとって自分の今の状況、いや、自分そのものを忘れるのに一番楽な事だったのだ。
端末の表示が動き始めると同時に、その端末に繋がった部材のランプが点滅する。しかし彼女はそれを見てはいなかった。彼女は身体中から込み上げてくる恍惚感に没頭した。
prprprprprprp・・・・
美貴の電話の着メロが、靄に包まれた陽子の意識を覚醒させる。彼女自身の意志に逆う身体になんとか言うことを聞かせ、陽子は音のする方に視線を向けた。その音源に、誰かの手が伸びている。しかしそれは美貴の手ではなかった。
「ええ」
陽子は一瞬ビクっとした。美貴の携帯を持っているのは、どう考えても舞だった。そして、その口からは美貴の声が聞こえている。
「いいえ、どうもしないわ」
舞が、美貴の変わりに電話に応対していた。それも、美貴の声で。
(そんな・・・ああ・・・・)
彼女が考える間もなく大きな波が彼女を襲う。一瞬意識が飛びそうになる。このままその恍惚感に身を任せてしまいたいという耐え難い欲求が彼女を再び靄の中へと引き戻していく。
陽子の思考が再び止まっていく。大きな波が重なり合ってさらに大きなうねりとなり、彼女をさらに高い恍惚へと押し上げていく。陽子にはもう抵抗する意志は無かった。仰け反った体が硬直し、弛緩する。彼女はもう周りの出来事を意識してはいなかった。美貴のものに続いて彼女の携帯が鳴ったことも、両耳の後ろにケーブルを繋がれた舞が、それに応答したことも。そして、その舞の声が、陽子の声そのものだったことも。
「発声パターンのデータを先に取っておいてよかった」男がつぶやく。男はそう言うと、舞に繋がっていたケーブルを抜いた。舞がゆっくりと立ち上がる。立ち上がった舞の隣には、舞と同じように無表情のまま、白衣を着た美貴が微動だにせず立っていた。
「聞いてのとおり君には夕方お友達を迎えに行って貰うことになった。少し急がねば」
端末を操作する男。男が操作する端末からはたくさんのコードが延び、裸で台に固定された彼女の体のあちこちに取り付けられた電極に繋がれている。端末には彼女の全身から取られたデータが収集されていた。陽子は辛うじて男の方を見ると、何か言いたげな顔をしたが、すぐに目の焦点が合わなくなりまたビクンと痙攣する。電極から送り込まれてくる心地よい間隔が、彼女の全身をほぼ麻痺させているのだ。
やがて、男が端末のところから立ち上がる。
「何も怖がることはない。もっとも、すぐに恐怖も何も感じなくなる」
舞と美貴が無表情のまま近づいてくる。美貴が両手で持ったトレイには注射器が乗せられていた。陽子の目が一瞬二人の姿を認めたが、その目はまたすぐに焦点を失った。目に映ったものを理解する思考力などとっくに何処かへ消し飛んでいた。
「データ収集は終わった。これで、君の人間の時間は終わりだ。彼女たちと同じように人形になって貰う」
黒江がトレイから注射器を取る。陽子の耳には黒江の言うことなど入っていない。時折声を上げる陽子の頭を、舞が無表情に押さえる。次の瞬間、彼女はチクリとした痛みを感じたが、同時に訪れた大きな波がそれをかき消した。陽子は目を見開いて全身を痙攣させ、そのまま沈み込むように焦点を失った目を閉じ、弛緩して動かなくなった。
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